川村洋司さん「最新情報・イトウの繁殖生態」

2000, 2021/12/30

オビラメ勉強会  2000年11月8日、ニセコ町民会館

前日からの雨が雪に変わり、尻別の流域一帯を白く薄化粧させた2000年11月8日夕、「オビラメの会」はニセコ町民会館で第1回オビラメ勉強会を開き、道立水産孵化場の川村洋司研究員を講師に招いて約3時間、非会員も含む17人がイトウ保護について熱く語り合いました。以下に川村さんの講演要旨を収録します。


川村洋司さんかわむら・ひろし 1950年、東京生まれ。北海道立水産孵化場病理環境部主任研究員。石狩川水系空知川の「かなやま湖」(ダム湖)とその上流域を主な調査フィールドに、野生イトウの知られざる生態を次々に明らかにしてきた。93年以降、「オビラメの会」とともに尻別川水系のイトウ繁殖状況を調査し、「尻別個体群は絶滅寸前」と評価。


イトウ保護のキーワードは「母川回帰性」&「稚魚生残率」

調査地点 尻別川のイトウがどれほど絶滅に瀕しているか、危機感をみなさんに共有して欲しい――今日はそんな気持ちでこれから話します。

 95年から昨年にかけて、私は尻別川の河口域から上流域まで、計50カ所以上でかなり広範囲にわたってイトウが繁殖している証拠を見つけようと調査をしてきたわけですが、産卵床はゼロ、ゼロ歳魚もゼロ、わずか1地点で2年魚(約17センチ)が1匹捕れただけです。

 これが例えば金山人工湖の上流でなら、3泊4日ほどの調査で、産卵床は百数十もみつかる。朱鞠内人工湖(石狩川水系雨竜川)で稚魚調査をすれば、やはり4日ほどでかなり捕れる。昨今イトウ激減が伝えられる釧路川でさえ、この春の調査で、ある支流で13カ所の産卵床を見つけることができました。

 ところが尻別川では、5年かけて調べても、イトウの再生産が行われているその痕跡すら発見できない。尻別川のイトウがいかに危険な状態か、その深刻さをお分かりいただけるでしょう。

Vサインがイトウのしるし

 私はこれまで主に空知川(石狩川水系)金山人工湖でイトウの研究を続けてきましたが、その結果、この魚のユニークな生態がいろいろ分かってきました。それを理解しておくことは、ここ尻別川でイトウ保護を考える場合にも非常に重要です。

 イトウの一番の特徴は、稚魚の生残率が極端に悪いことです。これまでの調査で、浮上(孵化後、川底から泳ぎだしてくること)してからの数カ月間で90%以上が死んでしまうらしいことが分かりました。しかしいったん成魚になれば、ほかのサケ科魚類と比較して、イトウは高い生残率を示します。

 イトウの成熟年齢はオスとメスでずれがあり、オスがだいたい4歳ごろから成熟するのに対し、メスはさらに遅れて満6歳以降に成熟が始まります。中には8歳になっても成熟しないメスもいる。「高齢出産」といえるかも知れませんね。自然繁殖を回復させようと思ったら、まずは成魚がそのくらいのサイズになるまで生き残ってくれないとダメだということです。

 産卵期は、水量や水温と強く関係していて、金山人工湖上流域での調査では、ちょうど春の雪解け増水が終わるころ、平常水量になる寸前のタイミングがイトウの産卵のピークです。この時の水温は6~7℃です。

 親魚が産卵に選ぶのは砂利底の環境で、水深20センチくらい、流速は毎秒70センチ前後の場所。岸のすぐそばが多いんですが、淵尻の平瀬や早瀬でもちょっといい場所があればやってしまいます。

 メスは尾びれで川底を叩いて砂や小石を弾き飛ばし、弾き切れないで川底に残ったコブシ大の礫の隙間の奥に、自分の尻ビレを差し込むようにして卵を産みつけます。産み終わると、上手からまた尾びれで小砂利を送って産室(エッグポケット)をカバーするんですが、その際、頭をまっすぐ上流に向けるのではなく、左右どちらかにやや傾斜させながら砂利を飛ばすんです。すると産卵床が完成した後、上流側にはちょうど産室を支点にしてVの字の形に掘り跡がクッキリ残る。このVの字がイトウ産卵床の特徴です。

 サケやサクラマスなどでは、1匹のメスに何匹ものオスがくっついてくるシーンがよく見られますが、イトウの場合は産卵時は必ず1対1。ペアの間に、ほかのオスが割り込んでくることはないんです。またイトウは精子の量が少なく、放精の瞬間も水が白く濁るようなことはありません。


イトウの稚魚は秋に消える?

イトウ稚魚の生息環境 孵化後、産室から泳ぎ出したイトウの稚魚は、流れのない浅い場所に移動して流下昆虫などを食べて育ちます。例えば川幅が広くなっている浅いチャラ瀬の、ごく岸に近い場所などですね。流速も毎秒5センチに満たないようなところです。(イラストは北海道立水産孵化場平成7年度事業報告書収録の図を改変)

 そんな環境で稚魚たちはどんな動きをしているか。数メートル四方のエリアを決めて、その中にいた4匹を捕まえて、個体識別できるよう蛍光染料を体に注入して標識してから放流して行動を観察してみました。

 すると、ほとんど一カ所に定位して、つまりナワバリを持って、ほかの魚が侵入してきたら追い払いながら過ごしていたのが2個体いました。別の1個体は、ほかの個体たちのナワバリに侵入しては追い払われつつ、あちこち遊動して採餌してました(残る1個体は追尾不能)。狭い面積に一緒に暮らしているとはいえ、イトウは稚魚の時代からすでにナワバリ意識を持っているんですね。ただ、採餌量を比べてみると、遊動していた個体のほうが、量はたくさん食べていました。生き延びるのにどちらが有利なのか、この観察結果の解釈は微妙です(笑い)。

 しかしこんなふうに比較的たくさん集まった状態で過ごすのは、浮上後1カ月までです。産卵床のある川の下流部に流下ネット(流れてくるものを捉えるメッシュの細かい網)を仕掛けてみると、浮上直後は大量に捕れますが、時間経過とともに急に捕獲量が減ります。目視で数を数えても1カ月後にはもうほとんど発見できません。イトウの稚魚たちは浮上して1カ月くらいで一気に分散していくのです。


「氾濫原に残る細流」が重要

 じゃあ稚魚たちはどこに向かうのか。探し回って、ようやく見つけました。岸辺から水面に垂れ下がったフキの葉の下、水中に倒れ込んだササの陰、エグレの中、そんな場所にいたんです。浮上直後は、上から丸見えの、直射日光のあたる日なたに群れていたのが、急にものかげに隠れるようになるのです。

 しかしやはり流れの緩いことが条件です。幅1メートル足らずの泥底(親魚が産卵するには適さない)の水路などに稚魚たちは好んで入り込んでいきます。

 そういう環境は川の氾濫原(増水時に水があふれる場所)によくみられます。細流が本流に流れ込む直前、ほんの10~30メートルほどの長さでも、氾濫原を本流と平行するようにごくゆっくり流れている、そんな場所です。

 イトウの稚魚は、そうしたごく限られた環境下でしか稚魚時代を生き伸びられないんです。イトウの保護を考えるとき、こういう環境をどれだけ残せるかが、資源量を大きく左右するわけで、これは非常に重要な要素です。

 けれど現実には、そういう水路は、治水工事では真っ先にショートカットされて、本流に直角に接続するように流路が変更されがちです。護岸もされてしまう。それにそもそも、氾濫原自体がどんどん農地などに転用されて消えてしまっています。

 イトウは最上流から河口部、さらに汽水域まで、氾濫原の細流のような環境も含め、川全体がまとまりを持って存在していないと、生活史を全うできない魚なのです。逆にいうと、この尻別川でイトウが急速に姿を消してしまったのは、そうした「川のまとまり」をこれまでずたずたに寸断してしまったのが最大の理由なのです。


「母川回帰性」の証拠

 さてイトウの生態のもうひとつの大きな特徴は、「母川回帰性」があるらしいということです。こんな実験で突き止めました。

 97年の繁殖期、金山人造湖の上流にある産卵河川にウライ(梁)を仕掛けて、遡上してくる親魚(メス)を全部捕獲しました。全部で13匹です。個体識別できるよう標識を施してから、全部リリースしました。

 99年と2000年の繁殖期、同じ場所でまたウライを仕掛けたんです。99年は3匹遡上してきて、全部が標識魚でした。2000年は10匹遡上して、うち6匹が標識魚。3回連続でウライにかかった魚もいました。

 金山人造湖上流部には繁殖可能な河川がほかにもいくつもあり、流域全体でのメス親魚数は40匹程度と推定されていますので、標識率は3分の1程度です。それなのに、この川で再び捕獲されれう標識魚の割合がこんなに高い。この実験によって、イトウ(メス)は一度産卵したことのある同じ川に繰り返し何度も上ってくる傾向が非常に強いことが、統計的に証明できたと思っています。

メタ個体群と局個体群の概念図 さて、母川回帰性が極めて強いとすると、こんなことが言えます。産卵河川の下流部(本流、または人造湖)で、あたかもひとまとまりの集団に見えるイトウたちも、実は繁殖河川ごとにそれぞれ性質の違う魚たちの集まりなのだ、ということです。

 新しい保全生物学では、いわゆる個体群の上位個体群として「メタ(超)個体群」という概念を用います。例えば、尻別川全体としてのイトウ個体群をメタ個体群だとすると、繁殖支流ごとに異なる性質を持つ魚の集団が局個体群というわけです。

 母川回帰性が強いイトウでは、ある繁殖支流でいったん局個体群が絶滅すれば、メタ個体群からの補充はほとんど望めず、その支流の自然回復は極めて困難です。実際、金山人工湖での観察でも、3年以上繁殖が途絶えてしまった支流は、その後ずっと回復していません。

 これがどういうことかというと、「本流にいい環境がある、一本だけ繁殖可能な支流が残ってる」というだけでは、イトウは保護できないということです。


30年かけて「オビラメの会・解散」を

 こんなイトウを尻別川でどうすれば保護していけるだろうか。必要な3段階を考えてみました(下のイラスト)。各段階にそれぞれ10年ずつくらいはかかる。そんな覚悟で取り組んでいかなければならないと思ってます。

尻別川の未来実現への道程 まず種苗の確保は急務です。尻別のイトウは何年か前のトキと同じ状況で、川の環境を復元すればあとは勝手に蘇ってくる、という状況ではもはやない。人工増殖によってサポートしなくちゃダメです。そのためには少なくとも数万粒単位の採卵ができる体制が求められますが、これは「オビラメの会」だけでは経済的にも無理な話で、自治体など、どこかに保護のための事業主体を確立しなくてはなりません。

 次に、再生産の拠点を確保しておくことも重要です。いきなり尻別川の流域全部をマネジメントしようとしても、それは難しい。繁殖可能な河川、稚魚の生育に適した場所、そんな環境をワンセット、最初の拠点にして、そこに人工種苗を定着させることから始めてはどうでしょう。

 このとき、釣り人の果たす役割は大きいと思う。イトウを気に掛けているの何といっても釣り人だから、全面禁漁にして釣り人に関心を持たれなくなるより、むしろ種苗の一部は釣りのために利用してもいいと思うんですが、イトウ釣りのルールの確立のためにも、そういうふうに釣り人の気持ちを引きつけておく工夫もあっていいでしょう。

 そして最後の仕上げとして、流域全体に対策を広げていく。この段階が終了すればイトウはもはや特別に保護しなくても大丈夫ということになり、釣りの規制も必要なくなるでしょう。「オビラメの会」も晴れて解散できるというわけです。

 「オビラメの会」解散を目指して、がんばりましょう!

(2000.11.21. 構成・平田剛士)


関連リンク

川村洋司「幻の魚イトウ考」(「週刊釣り新聞ほっかいどう」連載)

川村洋司「イトウの保護も一支流から(イトウだって母川回帰)」(マリンネット「試験研究は今」440号収録)

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