福島路生(国立環境研究所)「川が曲がって流れることの意味/イトウ産卵床分布との関係について」
1998,2000,2017/07/26
本論文は、北海道の森と川を語る会会報「森と川」(1998-2000、NO.9/10合併号)に掲載されました。著者の福島路生さんと、「語る会」代表の小野有五さんのご厚意により、このサイトに収録しています。同じ福島さんの「北海道・猿払川におけるイトウの産卵環境と生殖」―FGF研究成果報告―」はこちら。
はじめに
自然河川はその中流から下流あたりで勾配が緩くなると、複雑に、しかしある種の規則性を持って屈曲を始める。そして、その曲がり角のところに“淵”と呼ばれる水深が深く、流れが緩慢な部分を形成する。また川の勾配がひときわ緩やかなところでは蛇のように曲がりくねり、蛇行河川(河道)と呼ばれることもある。北海道の北部、宗谷丘陵を流れる河川では、なだらかな流域の地形のためにこの“蛇行”が特に著しい。日本においてはかなり異質とも言える河川地形ではあるが、そのような環境に好んで生息する生き物もいる。日本では北海道にしか生息しないイトウというサケ科の淡水魚がそうである。日本以外では南千島、樺太、沿海州に生息し、またその近緑種はシベリアを中心にユーラシアに広く分布する。いずれも湿原や原野などの広々とした土地を蛇行しながら流れる川を住処とするという点では北海道のイトウに共通するようだ。
筆者は以前、宗谷丘陵を流れる猿払川でイトウの産卵期の生態を数年に渡って調べたことがある。彼らの産卵は春の雪解け増水が引き始めるころ、上流にある小さな沢で行われるのだが、メスによって川底に掘られる産卵床の分布は年ごとにほとんど変化しないことが分かった(森と川No.3)。産卵場の分布が年毎に変化しないということは、イトウの産卵場所に対する“好み”が年毎に変化しない要因で決定されているからに違いない。それは河川の流況など気象条件に左右されるものではなく、また産卵場所を巡るイトウ同士の争いのような個体間の相互作用に左右されるものでもない。それはどうやら川の蛇行とは言わないまでも、何かしら地形に関する要因ではないかと思える。
川の地形とイトウの産卵床分布との間には確かにひとつの密接な関係がある。それは彼らの産卵床が決まって淵尻-つまり淵から下流に向かって瀬に移行する浅い部分-に掘られることである。言い換えれば、イトウの産卵環境には瀬―淵が連続する一連の河床の起伏がなくてはならないのだ。このように淵尻に産卵する川魚は意外に多く、サクラマスやニジマスなど多くのサケ科魚類がそうであるし、またヤツメウナギなどもそうである。淵尻には河床に向けての浸透水がもっとも豊富に存在し、それが発育中の卵に十分な酸素を提供する一方、孵化した仔魚から出る老廃物を洗い流してくれる、というのが一般的な解釈である。
では、イトウが数多く生息することで知られる宗谷丘陵の諸河川で川に瀬と淵が連続してつくられるのはどのようなメカニズムによるだろうか。まず頭に思い浮かぶのは、やはり蛇行、あるいは河道の屈曲である。湿原・原野を流れる川では、すべての淵が川の屈曲部か、あるいは屈曲によって根元を洗われ、河道に取り込まれた大きな倒木の下につくられると言っても過言でない。つまり、上で述べたイトウ産卵床の立地条件は、河川の断面を見れば確かに瀬-淵構造であるが、上空から河川を平面的に見れば“蛇行”ということに他ならないのではないか?
この仮説、つまりイトウは蛇行区間に好んで産卵床を設けるという仮説は、実は小野有五先生によってはじめ指摘され、先生はそれを裏付けるデータを・公表されている(森と川No.6、および「ランドスケープの構造と地形学(地形,第16巻3号195-213)」)。そこには猿払川のイトウ産卵河川を15Omごとに区切って8つのセクションとし、各セクションの河道屈曲率とイトウ産卵床数とを対比した表があった。その表からは明らかに屈曲率の高いセクションに数多くの産卵床が作られるという傾向が見られた。河道の屈曲というかなり大きな空間スケールで河川地形と魚の生息環境をみごとにリンクさせた先生の発想とそのデータによる裏付けとに深く感銘を覚えると共に、もう一度自分の足で川の形状とイトウの産卵湯所との定i的関係を明らかにしたいという衝動に駆られた。補足説明をしておくが、これまでの淡水魚類の生息環境研究は、魚が餌をとったり卵を産んだりする環境を、その付近の流速や水深、あるいは底質などで表貌しようということに力点が置かれていた。そのため、実験水路や池のような限られた空間の中で魚がどのような場所を好むかということはかなり理解が進んだといえるが、それを実際の自然河川や湖沼に当てはめて考えることには多分に無理があった。これまでも河道の蛇行や瀬-淵構造などの複雑な自然地形が生物の多様性を高めているということは、河川生態学者の間で古くから指摘されている。しかし、それを実証するような研究は技術的、資金的制約があるためか、国の内外を問わず今だ発展途上の分野といえる。
GPSで猿払川を調査
表1 猿払川の各沢における1998年のイトウ産卵床数とその密度 |
さて、前置きが長くなってしまったが、筆者がここで報告する内容は「河道の屈曲が高い区間に本当に数多くのイトウ産卵床がつくられる」かどうかという、なかば小野先生によって実証されている仮説の再検証の話である。そのために以下のような調査を計画した。調査を行ったのは1998年の春、猿払川上流の18本の沢である。調査の方法は、これらの沢で高性能のGPSを携えて川通しにただひたすら歩くというものである。そして産卵床が見つかったところで人工衛星からの信号を受信してその地点の正確な緯度経度を求めるのであるが、それに加えて川の中を歩いているときも常に数秒間隔で位置情報を求めることによって、どこをどう歩いたか、つまり河川の平面形状をかなり正確に測量することができる(水平精度は1m以内)。
このようにして求めた沢ごとの産卵床数の集計が表1である。猿払川は大きく分けて3つの支流に分かれているが、ここではそれらをA,B,Cで表示し、沢の名前は伏せてA-1,A-2,…という標記方法をとらせていただく。この表から分かるとおり、18本の沢で延べ59kmを踏査し、発見した産卵床は合計309個を数えた。平均して1kmあたり約5個の産卵床があった計算になる。しかし、支流ごとの値を見ると0個/kmから13個/kmとかなりのバラツキもあった。余談になるが、実は猿払川での産卵場全域調査は、この調査に遡ること7年前の1991年にも行っているのだが(森と川No.2)、産卵床密度0個/kmという不名誉な記録を残した沢(B-1)は1991年に全域で2番目に高い密度を記録している。
河道屈曲率とイトウ産卵床数
さて、本題の河道屈曲との関係であるが、まずGPSで得られた産卵床の位置と河川の平面形状の図をひとつの沢についてお見せした方がこれからの話を進めるにあたって都合が良いだろう(図1)。この沢は表1でB-3に相当するもので、すべての沢の中で最も河道の屈曲とイトウ産卵床との関係が明白に現れた沢である。ひとつだけ例外的に比較的まっすぐな区間に産卵床がつくられてはいるが、ほとんどのものは屈曲の激しい蛇行区間に集中する傾向がみてとれる。さて、問穎はその他の沢についても同様な傾向が見られたかどうかということと、その傾向の強弱をどのように評価したらよいだろうかということである。そこで、表1の中で産卵床が10個以上見つかった12本の沢に限定して次に述べるような数値解析を行ってみた。
まず屈曲の強弱を表す指標として河道の屈曲率を定義した。それは単に河川に設けたAとBという2点間の河川長とその2点間の直線距離の比である。河川長はGPSで河道沿いに計測した歩行距離であり、その間の直線距離とはA点とB点それぞれのxy座標(経度と経度をそれぞれメートルで換算したもの)から計算によって求まる。次に何を検証するのかをこの屈曲率という言葉を使ってもう一度言い換えると、それは「ある沢につくられた産卵床付近の屈曲率がその沢の平均屈曲率よりも高い」という仮説が真か偽かということである.この仮説を検定するための具体的な手順を説明しよう(図2)。
まず、沢ごとにGPSで記録した個々の産卵床を基点にその上流側一定区間の屈曲率の平均値を求める(ステップ1)。続いて、同じ沢で今度は、産卵床のあるなしにかかわらずまったく任意に河川上にランダムな点を産卵床の数だけ発生させ、その上流側一定区間の屈曲率の平均値を同じように求める(ステップ2)。このステップをコンピューターで1000回ほど繰り返し、1000個の平均屈曲率を算出する。これらの数値を頻度分布図にすると、もしイトウが屈曲率などに対してまるで嗜好性を持たず、いいかげんに産卵していたならば産卵床付近の屈曲率はこれくらいの値になっていただろうという一種の確率分布が分かる(ステップ3)。その上で、ステップ1で求めた実際の産卵床付近の屈曲率がその分布図の中でどのあたりに位置するかを線引きすると、その線が分布の中央より右側に位置すればするほど、言い換えると、線より右側の分布の割合Pが小さければ小さいほど、イトウが特異的に屈曲率の高い区間を選んで産卵していたことになる。言うなれば、嗜好性という生物なら何がしかに対して皆持っているであろう性質の強弱を、それをまったく持たないコンピューターの挙動と比較することで表現しようという試みである。
空間スケールの問題
ところで、上のようにして計算する屈曲率はA-B間の河川長をどれくらい長くとって計算するかによって、その値が異なるという面倒な問題がある(河川をどんどん細かく区切って屈曲率を計算していくとその値は1に収束する)。この問題は言い換えれば「どれくらいの空間スケールで河道屈曲率とイトウ産卵環境との関係を評価するか」という問題につながる。そこで、上で“上流側一定区間”と表現したところを河川長50m,100m,200mと3段階に設定してそれぞれのスケールで上記の統計検定を繰り返すこととした。
図3はこれら3つの空間スケールのもとで、12本の沢の平均河道屈曲率(ステップ3より得られた頻度分布図の平均値)を横軸に、実際のイトウ産卵床付近の屈曲率を縦軸にとってプロットしたものである。そして両者の屈曲率が等しくなるラインも各パネルに引かれている。これらの図から分かることは、空間スケールの最も小さい50mの屈曲率で評価した場合、すべての沢においてイトウが産卵床を設けた地点のすぐ上流側の屈曲率はそれぞれの沢の平均的な屈曲率よりも高い、つまり蛇行のより激しい区間を選択して卵を産み落としていたということである。ところが、この選択性は空間スケールを100m,200mと大きくしてゆくにつれ、しだいに不明捺になっていく。200mでは12点のうち4点もがラインの下側にプロットされている。これらの沢では平均屈曲率よりむしろ低い屈曲率のところで産卵していたことになってしまう。
上の関係を今度は別の見方、つまりステップ3のところで説明した割合Pという数値を使って表現したのが表2である。50mスケールではすべてのP値が0.5以下であり、なかには0.16や0.047といった極めて小さな値を示した沢もある。ところが、これらの値も空間スケールと共に概して大きくなる傾向があり、200mスケールでは4つの値が0.5以上となる。因みに50mスケールで最小値のP=0.016を記録した沢が図1でお見せした沢である。
表2.各スケールのもとで12本の沢に対して計算されたP値 | |||
空間スケール | |||
沢 | 50m | 100m | 200m |
A-1 | 0.35 | 0.968 | |
A-2 | 0.047 | 0.434 | 0.068 |
A-3 | 0.442 | 0.677 | 0.780 |
A-4 | 0.149 | 0.320 | 0.177 |
B-3 | 0.016 | 0.037 | 0.081 |
B-4 | 0.349 | 0.209 | 0.811 |
B-5 | 0.400 | 0.009 | 0.356 |
C-3 | 0.412 | 0.790 | 0.605 |
C-4 | 0.146 | 0.414 | 0.359 |
C-5 | 0.144 | 0.182 | 0.262 |
C-6 | 0.082 | 0.154 | 0.079 |
C-7 | 0.337 | 0.294 | 0.288 |
まとめ
以上のことから、話をまとめると・‥
沢によってその傾向の強弱はあるものの、確かにイトウは蛇行河川と言われる川の中でもひときわ蛇行の激しい区間を産卵場所として選択している。そして、その傾向は50mという比較的小さなスケール、つまり“局所的に”屈曲の度合いを見たときに最も顕著になる。そして筆者の推理が正しければ、この屈曲率と産卵床との関係は、もとを正せば瀬-淵構造と産卵床との密接な関係を単に河川の平面形状との関係で置き換えたものに過ぎない。それはしかし、イトウという希少淡水魚の保護を考える上で瀬-淵構造の重要性をあらためて訴えると同時に、その瀬-淵構造を維持し、保全するには川が曲がって流れていなければならないことを証明するものでもある。それと、ここではイトウを主人公にして話を進めてきたわけだが、蛇行や瀬淵など河川の複雑な自然地形が大事なのは何もイトウに限ったことではなく、他の淡水魚にも、あるいは水生昆虫や水辺の鳥や獣など多くの生き物にも当てはまることではないだろうか。これら多くの生物や人々の生活をも巻き込んだ、広い意味での生態系に果たす自然地形や景観の役割はまだほとんど解明されていない。ここでのイトウの話はその第一歩だと考えている。
最後になるが、この文章はEcology誌(第82巻5号)に近々掲載される予定であり、図表もそこから転用していることを断っておく。論文では、さらに込み入った統計解析を通じて12本の沢全体を評価したときに、どれくらいの確信を持って屈曲率と産卵床分布との関係を支持することが可能かというようなことにも触れている。関心のある読者は是非ご覧になっていただきたい。