国際自然保護連合「再導入と保全移植の指針」(2013)抄訳
2021/09/17
オビラメの会は、絶滅危惧種イトウの北海道尻別川個体群復元を目指して活動するにあたり、国際自然保護連合「再導入と保全移植の指針」(IUCN/SSC (2013). Guidelines for Reintroductions and Other Conservation Translocations. Version 1.0)に準拠しています。その抄訳を掲載します。誤訳などを予告なく修正する場合があります。ご了承ください。(オビラメの会)
国際自然保護連合「再導入と保全移植の指針」
もくじ
- 4.1 ゴール、目標、活動
- 4.2 モニタリング計画の立案
- 4.3 出口戦略
- 5.1 生物学的な実現可能性
- 5.2 社会学的な実現可能性
- 5.3 法令遵守
- 5.4 資金確保
- 7.1 リリース地点・エリアの選択
- 7.2 リリースの戦略
- 8.1 モニタリング
- 8.2 継続の工夫
概要
「保全移植」とは、ある場所に生息する生物を別の場所に意図的に移動させることをいいます。この行為は、個体群、種、生態系の各レベルにおいて計測可能な保全上の利益を見込んで初めて実施されるべきで、移動させる個々の生き物たちのためにだけ行なわれるものではありません。
「保全移植」には、(1)その種のもともとの分布域に「補強」あるいは「再導入」する場合と、(2)もともとの生息地以外の場所に移す「保全導入(移動再定着の補助や生態学的置換を含む)」とがあります(図1)。
移植が効果的な保全のツールであることは間違いありませんが、平行して行なわれるその他の保全対策と厳密にすりあわせておく必要があります。移植とその他の保全対策とで、コストやリスクを比較検討して、実行可能かどうかを事前に評価しておきましょう。
移植にともなうリスクは多彩で、移送元・移送先の両方の地域において、対象とする生物種のみならず、その種が属する生物群集や生態系の機能にも影響が及び、場合によっては人間の生活にも影響します。移植を実施する前に、それぞれの状況や場面ごとに、あらゆるリスクを想定しておくことが重要です。リスクが大きければもちろんのこと、リスクやそのインパクトの大きさがはっきりしない場合でも、移植を実施してはなりません。
もともとの分布域からそれ以外の場所に生物を持ち出す行為が高いリスクをともなうことは、そのように人為的に放たれた生物種がしばしば「侵略者」と化し、深刻な被害を引き起こしている実例が示しているとおりです。周囲にインパクトを及ぼさない移植はなく、批判は免れないのです。移植の実現可能性を検討したり計画を立てたりするさいには、社会的・経済的かつ政策的な要素の検討は欠かせません。こうした要素を計画に反映させるには、技術面と政策面、両方の専門家たちによる学際的なチームを編成するとよいでしょう。
まずは計画のたたき台を準備します。基本的な情報を集め、脅威について分析します。「保全移植」に着手してからもモニタリングを繰り返して微調整を続けます(図2)。こうしたプロセスは必ず記録しておきます。そうしておかないと、プロジェクトの目標や枠組みが途中で変わったりしたときに、それが正しい判断だったと証明できませんし、プロジェクトの結果を客観的に評価できなくなります。最後に全体の報告書を残しておけば、それが広く共有されて次の保全計画を立てるときにも役立つことでしょう。
セクション1 ガイドラインのねらい
以下のガイドライン集は、およそあらゆる「保全移植」に対応できるように構成されています。具体例を挙げることはせず、原理原則に重点を置いています。引用文献は付属書に載せましたので、詳しくはそちらをご覧ください。このガイドライン集がつくられた背景や理論的根拠についての文献のリストは付属書1に載せました。
「移植 Translocation」は、ヒトが「生物 living organisms」をある場所から別の場所に運んでリリースする行為を意味する言葉です。本ガイドラインは、このうち「保全移植 conservation translocations」に焦点を絞ります。これは「保全上の利益を数量換算できる移植」という意味です。移動させる種の個体群と、移動先の生態系の双方に恩恵がなくてはいけません。移動させた個体が生き残ったとしても、単にそれだけでは「保全移植」とは言えません。
「生物 living organisms」
ここでいう「生物」という用語が意味するのは、種・亜種・もっと下位の分類群に属するもののことです。体の一部組織・生殖細胞・種子・卵など、移植された後に自力で生き延びて再生産できるものを含みます。
近年は国境を越えた保全活動が盛んですが、それがかえってリスクをもたらしているケースも散見されます。「保全移植」はいかなる場合にも正当な理由が必要ですし、はじめから明確な目的を掲げておくこと、あらかじめリスクを洗い出し、影響を評価しておくこと、またプロジェクトをスタートさせてからも実績の計測が必須です。そんな「保全移植」の是非の検討・立案・計画・実行に際しての指針となるよう、本書がつくられました。
ご注意いただきたいのは、保全活動があまたあるなか、このガイドライン集が、ことさら「保全移植」をみなさんに推奨しているわけでは決してない、ということです。「この種だけは守りたい」などといって特定の集団だけを選び出してよそに移動させるのは、「保全移植」とは認められません。
今後、生態系などの自然環境はいっそう激しく変動するだろうと予想され、本ガイドライン集は、そのような未来に対して責任を果たさねばなりません。生息地の消失、群れの健康の劣化、外来種の侵入などが世界の生物多様性を脅かし、気候変動がそれに拍車をかけています。とくに気候変動は、もはや「補強」や「再導入」では間に合わず、生物たちを元の生息地からどこか別の場所に退避させなければ、という危機感を募らせます(詳しくはセクション2)。こうした「移動再定着の補助」には異論もありますが、今後、生物多様性保全策としてますます重視されるようになるだろうと予測されています。
セクション2 ことばの定義と分類
保全移植のタイプを図1に示しました。用語の定義は以下の通りです。より詳しくは付属書2をご覧ください。
「移植 translocation」は、いろいろな意味を含む言葉です。野生のものを移動させる場合もあれば、捕獲したオリジナルに由来する人工増殖のものを運ぶ場合もあります。意図的に行なわれる場合もありますが、人が意図せず持ち運んでしまう場合もあります(飛行機や船舶にくっついて移動してしまうケースなど)。意図的な移植であっても、その目的はさまざまです。個体数を減らすため、福祉目的、政治目的、商業利用、娯楽目的、そして環境保全のため、といった具合です。
このうち「保全移植 Conservation translocation」は、保全上の利益を主目的とする意図的な生物移動およびリリースをさし、地域的もしくは地球規模でみた場合の対象種の保全上の地位向上、自然生態系の修復をめざす手段です。
移植は生物のリリースをともないます。しかも、自然状態でもともと生息していた場所とは異なる環境へのリリースです。最適な個体数、最適な性比、最適な個体群サイズ、最適な繁殖システム、最適な環境状態、供給に対する最適な依存度、あらゆるものが異なり、リリースされたものたちに選択圧力となってのしかかることになります。
保全移植は、対象種の元々の分布域の内部、もしくは外部へのリリースをともないます。「元々の分布域」かどうかの確認は、歴史資料(文献資料や伝承)によるか、その生物がそこに生息していたことを示す物的証拠によります。その種がその地域に生息していたという直接的な証拠がない場合でも、生態学的にみて生息適地が存在し、近接地域に確かな生息記録があれば、「元々の分布域」とみなすことができます。
1 「個体群の修復 Population restoration」は、「保全移植」のうち、もともとの生息域内で行なわれるものをいい、次の2つがあります。
a 補強 Reinforcement | 絶滅しかけている特定の個体群のなかに同種の個体を持ち込み、リリースすることをいいます。その個体群の繁殖能力を高めたり、より短期的には個体数を増やして遺伝的多様性を高めたり、地域個体群の数を増やしたり、といったことが目標とされます。 |
b 再導入 Reintroduction | もともとの分布域の内側で、その生物が姿を消してしまったエリアに、その生物を持ち込んでリリースすることをいいます。再導入の目標は、もともとの分布域内に、自力でやっていける個体群を再建することです。 |
2 「保全導入 Conservation introduction」は、もともとの分布域の外に持ち込んでリリースする行為をさし、やはり2つのパターンがあります。
a 移動再定着の補助 Assisted colonisation | 対象とする種の絶滅を回避するためにおこなれる移動ないしリリースで、間近に差し迫っている、あるいは近い将来に予測される脅威を避けるために、原生地とは異なる場所に移動・定着させる、といったケースが考えられます。元の生息場所から遠く離れた場所への移植と、境界を接した近い場所への移植の両方を含みます。 |
b 生態学的置換 Ecological replacement | なにか特別な生態学上の機能を期待して、元来の生息域外で行なわれるものを指します。絶滅によって失われた生態学的な機能をその場所で再建するために、まだ現存している亜種、あるいはその絶滅種に遺伝的に近縁な種をそこに導入します。 |
セクション3 「移植」が許容される場合とは?
- 「保全移植」は、保全のためにおこなわれるものですが、生物学的・社会学的・経済学的なリスクをともないます(付属書3.1.)。
- 対象種がその地域から絶滅してしまった原因を正確に突き止めたうえ、あらかじめそれらを除去、ないし十分に小さくしておくこと。
- 計画の段階から、得られる効果と望まない副作用を予測し、それぞれ生物学的・社会学的・経済学的な角度から影響評価を済ませておくこと。もともとの生息域内で実施する「補強 reinforcement」「再導入reintroduction」に比べて、元々の生息域外への持ち出しをともなう場合は、とくに念入りに行なうこと。
- 生物種の移動が、移植先の生態系・社会・経済にひどい被害を及ぼしてしまった事例は世界中で枚挙にいとまがありません。多くの場合、影響を予見するのは難しく、移植後、長い時間が経ってから顕在化しています。
- つまり、「保全」と銘打ったとしても、もともとの生息域の外に持ち出す移植は、正確に予測することが難しい(もしくは予測不能な)高いリスクを避けられない、ということです。
- ようするに、「移動」がもたらすかもしれないリスクについて分析しておくのみならず(セクション6)、リリースした生物が、その後長期間にわたって高い健康レベルを保ちながら生き延びることができる、またリリース先の生態系や地域住民(社会・経済両面で)にも安心してもらえる、という確信が得られて初めて、その行為を「保全移植」として正当化できる、ということです。
- 保全対策として「生物移動」を実施するにせよ中止するにせよ、リスク・レベルの総量は利益の予想レベルと均衡するはずです。
- 想定される種々のリスクのうち、評価が難しかったり、小さすぎて検出できなかったりするものの割合が高い場合は、「生物移動」はやめ、別の保全対策を探しましょう(付属書3.3)。
セクション4 「移植」のプランニング
4.1.1 最終目的、小目標、活動計画
- 「保全移植」には、あらかじめ明確な最終目的を設けておく必要があります。
- 実現可能性、リクス評価、意志決定、実働体制、調整、評価の各段階について、論理的なプロセスによって計画を構築するよう心がけましょう。
- 計画策定にあたっては、同じように最終目的・小目標・活動計画の明確化を義務づける「種の保存委員会」の手法が参考になります。これまで移植された個体群の消長についての事例も参照しましょう(付属書4)。
- どの段階においても「ふりかえり」が大切です。目指すゴールに達するまで、それまでの進展ぐあいをふりかえりつつ、小目標やスケジュールを調整する「保全移植のサイクル」(図2)を繰り返します。
- 「最終目的」は、その「保全移植」が目指すゴールを言い表したものにほかなりません。保全上の利益を正確に表現する必要があり、たとえば、どれほどの個体数/個体群サイズになることを目指しているのか、それによって、その地域だけでなく世界規模でみてどのような保全上の利益になるのか、といった書き方になります。
- ゴールをひとつに絞る必要はありませんが、ゴールの数が増えると明確さは犠牲になります。
- どのように最終目標に到達するかは、小目標書に詳述します。対象種に対する脅威を特定もしくは推定し、はっきり書きます。
- 活動計画書は、小目標をクリアするのに必要な活動内容を記述します。どのくらい進んだかを数字で確認できるように、スケジュール表をつけます。必要な費用や資材の一覧、責任者がだれなのかを明記します。活動計画書の個々の項目が、監視・評価の対象項目になります(セクション8を参照)。
4.2 モニタリング計画の立案
生物移動の進路のモニタリングは重要です(セクション8)。生物移動計画立案の初期段階で考慮しておくべき問題で、後回しにしてはなりません。
まず、最終目標や小目標が現実的かどうかをチェック・修正します。この作業は、移動させた後の個体群の発展度に合わせてそのつど行ないますが、少なくとも次の条件が必要です。
小目標が達成に近づいているかどうか、最終的には成功か失敗かを判定するための証拠を得られること。
その証拠を裏付けるために、どんな形のデータをいつどこで、どんなふうに集めるつもりなのか、方法と手順をあらかじめ示しておくこと。
調査・分析・データ管理の実働体制を整えておくこと。
モニタリング情報を関係団体に確実に広報する体制を整えておくこと。
4.3 出口戦略
プロジェクトは必ずしもうまくいくとは限りません。途中で資金が続かなくなる場合もありえます。もし計画段階から「こうなったら成功の見込みなし」「ここまでなら続けられる」と判断する指標を織り込んでおき、それに従う形にしておけば、何か想定外のことが起きて継続できなくなったとしても、中止の判断は許容されます。
あらゆる生物移動プロジェクトに、出口戦略は不可欠です。出口戦略の準備がないと、プロジェクトの中止は正当とは認められません。
セクション5 実現可能性とデザイン
「保全移植」は、基本的には、対象種が移動先で健全な個体群としてやっていけるかどうか、また生態学的役割をきちんと果たしてくれるかどうかが勝負です。しかし実際には、計画はタイミングやさまざまな制約に左右されますし、技術水準にも影響を受けます。そこで、果たしてプランが実現可能かどうか、生物学的な観点だけでなくあらゆる角度からアセスメントしておく必要があります。
5.1 生物学的な実現可能性
5.1.1 生物学的な基礎情報
- まず、移動させる対象種に関して、生息地の条件、種間関係、競合関係など、生態環境と物理環境の両面から情報を集めましょう(付属書5.1)。既知の情報が限られている場合も、できるだけ関連情報を収集して、プログラムに反映させます。
- 対象種、あるいは近縁種に関する情報に基づき、別の「生物移動」シナリオをつくり、結果がどうなるかをみる方法もあります。シンプルなモデルで説明したほうが、意志決定はうまくいくものです(付属書5.2)。
5.1.2 生息地
「実現可能性とデザイン」の柱は、対象種にとって新たな生息地がふさわしいかどうか、という問題です。詳細は付属書5.3にありますが、重要なポイントを挙げると……
- もともとの生息分布域内での「再導入」が望ましいが、従来の分布域内ではすでに生物学的に見て生息に適した環境が失われてしまい、絶滅状態が続いている場合。
- 対象種が最後まで生息していた場所が、種の保存にとって最良の場所だとは見なせない場合。
- 対象種の生活史全体を通して、生物環境・物理環境の両面で、じゅうぶんな空間と時間が確保できていること。さらに、リリースした生物のその後の動きが、その場所の土地利用に制約を受けないことが確約されていること。
- 対象種の移動先での生物学的役割について、事前に完全に評価されていること(セクション6)。「想定外のリスク」「望まない被害」は、「補充」では小さく済んだとしても、元来の分布域外への「移植」では深刻化しがちです。
5.1.3 気候に関する条件 付属書5.4
- 移動先の気候予測が必要です。将来の気候変動を組み込んだ生物学的モデルを活用して、対象種が生存できなくなるような気候変動が起きる可能性まで考慮して、その移動先が適切かどうかをみます。
5.1.4 導入第1世代(創始者たち)
導入第1世代の母集団と可能性
- 最初に導入するグループは、人工繁殖させたものと、野生のものとが考えられます。
- まず遺伝的な系統がはっきりしていること。オリジナルないし残存している野生個体群と比較して、形態・生理機能・行動のいずれも同等であること。
- 野生由来/人工増殖由来のいずれも場合でも、個体を連れてきてリリースした場合に起きうる悪影響について、あらかじめ評価しておくこと。人工繁殖由来のものを利用する場合、供給元となる増殖施設が、内部的にも地域的にもしっかりした供給体制を備えていて、当該「保全移植」計画を最後まで支えきれるかどうかを確認しておくこと。
- 野生であれ飼育下であれ、移動させる個体を選抜する元の集団が、構造的・遺伝的に健全であること。また福祉配慮、健康管理がなされていること。
分類学的な置換
対象種とその亜種が、野生のものも飼育下のものも、両方とも絶滅してしまっている場合、代わりに、その種に似た、近縁の種・亜種を「生態学的置換」に用いることが可能です。その場合、絶滅種との系統発生学的な近さに加え、見た目や生態、行動が絶滅種に似ているといった客観的基準に基づく必要があります。
遺伝学的に考慮すべき事項
- 移植する最初の世代が、十分な遺伝的多様性を保持していること。
- 移植させる集団の生息地が移植先に物理的に近かったり、生息地に似た環境が移植先にある場合は、よりスムーズに遺伝学的な適応が進むでしょう。
- 移植する第1世代たちをあちこち広範囲から集めてくると、遺伝的な不適合が予想されます。
- 個体レベルの多様性を最大化しようとしてあちこちで多数を移植すると、移植した個体たち自身、またそこで生まれる次世代以降の個体たちが移植先のエリアを超えて拡大しますので、より徹底的な移植集団管理戦略が求められます。
- 最初に移植する個体たちを選ぶさいの遺伝的検討事項は、ケースそれぞれ独特です。十分な数の個体をリリースして遺伝的にワイドな状態からスタートし、その後の行動変異や死亡が許容範囲内(かつモニター可能)なら、遺伝学的な観点からは実現可能性を制約することはありません。
5.1.5 動物福祉
- 保全移植を実施する場合は、動物福祉に関する国際規範を可能な限り遵守してください。また移植元・移植先双方の地域の法令・政府方針を遵守してください。
- 動物のストレスや苦痛を軽減するためにあらゆる措置を講じて下さい。
- 動物は捕獲時はもとより、人に身体を触られたり、見知らぬほかの個体と一緒に狭いケージに閉じ込められて運ばれたりしている時にストレスを強いられます。ストレスはリリース後も続きます。
- 飼育下で生まれた動物と野生状態で捕獲された動物とでは、ストレスの感じ方が非常に異なります。新しい環境に徐々に慣れさせる意図で行なわれる「ソフトリリース」は、野生個体ではかえってストレスを高めてしまう場合があります。
- 移植する前の集団内ですでに社会的関係を築いていた個体同士を引き離してしまうと、非常なストレスを与えてしまいかねません。
- 保全移植の撤退戦略のうちに、いったん移植した動物を移植先から除去する選択肢を設けておきましょう。除去が可能かどうか、あらかじめ評価しておいてください。
5.1.6 病気や寄生虫に関する検討事項
- 移植する動物たちの健康を最良に保ち、移植先に新しい病原体を持ち込んでしまうリスクを最小化するために重要なのが、既知の病原体の伝播に関するマネジメントです。詳細は付属書5.6をご覧ください。
- 寄生虫や病原体を完全に防ぐことはできません。はじめは病原体を体内に持っていなくても、ほかの個体から感染したり、ほかの宿主生物から種間感染したりします。宿主の免疫状態が感染しやすさを左右しますから、移植先で病原体やストレスにさらされたときにうまく適応できるかどうか、事前に検討しておきます。
- 移植生物そのものや、移植先のコミュニティに及ぶかも知れない防疫上のリスクに対する警戒レベルは、移植元と移植先とで釣り合いを取りましょう。「野生生物の疾病リスクアセスメント」(IUCN、2013)に解析のためのモデルがあります。
- 移植先に病気や寄生虫を持ち込まないよう、リリースの前に必ず検疫を行ないます。ただし、検疫のストレスによって体内に潜伏していた病原体が病気を発症させてしまう場合もあり、個々のケースについて慎重に検討しましょう。
- ほかの個体と一緒に不自然な形で運搬したりすると、そのストレスで生物の体内の病原体が病気を発症させてしまうことがあります。
- 事前の適切な配慮と防疫を実施し、移植の過程で生物にかけるストレスを最小化する対策を講じておけば、病気や寄生虫の問題で移植を断念しなければならない、ということにはならないでしょう。
5.2 社会的な実現可能性
- 保全移植の計画立案は、その国・地域における保全の枠組みの中で行ないます。既存の行政機関と連携し、法令・政策を守るのはもちろん、生物多様性国家戦略や、既存の種の保存計画に従います。
- 新たに生物をリリースする地域では、それが許されるのか否かに住民の関心が集まるでしょう。意見はさまざまで、極端な場合もあれば、賛否が分かれる場合もあります。人びとが置かれている社会経済的な状況の違い、さまざまな意見や価値観、前向きに捉えられるかどうか、期待の度合い、移植実施によって生活が変わるのかどうか、負担を強いられるのか、自分にメリットがあるのか、といった観点を考慮して、移植計画を立てる必要があります。移植に対する理解を求めながら、社会連携型の活動を発展させていくのに欠かせない作業です。
- リリースを実施する前に、移植を実施する主体と地域社会との間で連絡体制をつくって、取り決めをしたり、問題が起きた場合の責任のありかを伝えたりしておきましょう。とくに移植の影響を強く受けると予想される地域の人たちとの連携が大切です。
- 地元の集落を含む関連団体との調整なしに、生物を持ち出したりリリースしたりしてはなりません。撤退戦略に基づく「いったん移植した生物の除去」のために生物を持ち出す場合も同様です。
- 対象種が絶滅してからすでに久しい場所、あるいは初めてその種の保全導入を計画している場所では、地元の人びとのその種に関する知識不足が原因で、リリースに反対する人が少なくないかも知れません。その場合は、事前に学習機会を設けるなど特別な働きかけが必要になります。
- 保全移植は、うまくいけば、エコツーリズムによる収入が増えるなど、地元に経済効果をもたらす場合もありますが、反対に経済的なダメージをともなうこともあります。計画~実施のいずれの段階でも、関係団体や地域社会で反対している人たちにも、どんな悪影響がおよぶ可能性があるのかを伝えましょう。また可能なら、とりわけ地域経済が停滞している場合は、地元で「持続可能な経済」を構築します。
- 種によっては、平行して複数の保全移植が計画されている場合があります。プロジェクト間の連携を図り、地域間・国家間のコミュニケーションや協働体制をとることで、移植生物の供給源を有効活用できます。また最終目標を達成し、ベストな保全を実現するまでの経験を共有できます。
- 組織の体裁も移植成功のカギを握っています。政府機関、NGO、非公式の関連団体(移植に反対している人たちを含む)など、正当な理由で移植に関心を抱く機関やグループがたくさんある場合、それぞれが適切で建設的な役割を果たせるようなメカニズムを構築しておきます。形式的・お役所的な組織階層をとりはらった形で活動できる専門チームを設置しておくと、何か管理上の問題が起きたときにスムーズに対処できます。
- 参画団体は、それぞれ権限や優先順位が異なり、政策課題も違っています。リーダーシップを発揮して上手に理解を得ながら、全員の足並みをそろえておかないと、非生産的な衝突が起きて移植が実施できず失敗に終わってしまう可能性があります。
- 保全対象の種や生態系に全体として道義的恩恵がもたらされれば、その移植は成功したとはいえます。ただし、それによって保全対象種以外の種や生態系や人間社会に被害が及ぶ場合は、保全上得られるメリットとのバランスをとらなくてはなりません。「保全導入」を行なう場合にとくに重要なポイントです。
5.3 法令遵守
国際レベル、国家レベル、地方レベル、地元レベルの法令遵守が求められます。生物をリリースし、またリリース後の生物が増えて広がっていくと考えられるエリアで、そのような土地利用に許可がいるのか不要なのかを確認します。国によっては、複数の機関が別々に、計画内容や輸入・リリースの許認可を行なう仕組みになっています。移植プログラムの一環として、定期的な経過報告書の提出を求める部局もあります。
国境を越えて行なう移植
国境を越えて行なう移植は、国際的な要件を満たしておく必要があります。ワシントン条約付属書I~IIIに記載された種の個体を扱う場合には同条約の規定に従います。あるいは、遺伝資源と伝統知の利用に関する交渉の手順を定めた名古屋議定書に基づく許認可や同意が必要かどうか、確認します。
元来の分布域から外部へ持ち出される種に関する法律
多くの国が、動物の捕獲や生物の収集を規制する国内法を整えています。また外来種のリリースを規制する法律もあります。たとえ同じ国内であっても、元々の生息地ではない場所にリリースするのを禁じている場合もあります。
生物のリリースに対する許認可
生物輸入の許認可だけでなく、生物のリリースには政府発行のしかるべきライセンスが必要です。
越境をともなう移動
リリースに先だって生物を輸送する時に国境ないし民族上の境界をまたぐ場合は、あらかじめ関係するすべての権力機構から認可を得たうえ、規定の法的手続きを済ませておくこと。
国内/国際検疫
生物の国際的な移動に際しては、国際獣疫事務局の「動物の移動に関する基準」ないし国際植物防疫条約を遵守することが求められます。
またリリース前には、植物/動物の健康についての国内法に従います。公衆やその地方の動物に病気をもたらす恐れのある野生種の持ち込みに対しては、各国専門機関が規定を設けて管理にあたっています。
5.4 資金確保
- 生物学的/技術的な専門知と社会スキルの協働によってこそ、効果的な移植管理が成し遂げられるということを強調しておきます。
- 全期間にわたって重要な諸活動を支える費用を確保しないまま、移植を始めてはいけません。指針セクション4に掲載した「スケジュールの立て方」に従ってください。
- 移植の実施中、正当な理由でプランの変更を余儀なくされることはよくあります。会計担当者は、こうした変更に柔軟に対応できるよう、予算編成を工夫しておきましょう。
セクション6 リスク評価
- いかなる移植も、目標に到達できなかったり、想定外の損害を生じてしまうリスクをはらんでいます。生物を移植する途中の過程、またリリースした後の両方の局面で、起こりうるあらゆる災害について事前に評価しておきましょう。詳細は付表6.1をどうぞ。
- 自然分布域の外部への移植には、いっそう大きなリスクを伴います。(1)生態学的な連続性を欠き、新たにもたらされる生態学的なできごとに耐性がないこと、(2)自然分布域から外部に持ち出した生物が侵略的外来種になってしまう実例があること。生物多様性や生態系サービスのみならず、人間の経済活動に甚大な被害をもたらしてしまう例も少なくありません。
- 危険をもたらす因子が顕在化する可能性と、それによって生じるインパクトの強さの両方を勘案して、リスクは計算されます。次のような指標が用いられます。
- 絶滅までの猶予時間
- 絶滅に至るまでの間に起きる生態学的な変化の多寡
- 移植する種が周囲の生態系に与える影響度
- 移植する種数
- 移植する個体の遺伝的特異性
- 人間活動に対する悪影響の潜在量
- 許容できる生物学的インパクトの想定値
- 自然分布域から外への移植なのか、自然分布域の中への移植なのか
- リスク因子が顕在化する回数
- 各リスク因子が顕在化する不確実性
- インパクトの不確実性
- 想定外のリクスに対処する能力の有無
- 行為に対する責任能力のレベル
- いくつものリスクが同時に顕在化した場合の相乗効果
- いくつものリスクが複合的に及ぼす影響の範囲
- 個別のリスクのレベルそれぞれに応じて、リスク評価のレベルを調節します。データが乏しい場合、定性的なリスク評価しか行なえないこともありますが、データがないからといって、リスクが存在しないわけではありません。リスクアセスメントと予備調査なしに、その移植を実施するか中止すべきかの判断は下せません。
- 可能な場合には、信頼できる証拠に基づいて意志決定を行なう公的な手法を利用しましょう。原則として、本来の生息域外に移植した場合にどんなリスクが生じるかよくわからない場合は、実施を見合わせましょう。
- 移植に伴う主なリスクは、次の通りです。
- 母体となる個体群のリスク:ごくまれな例外を除き、母集団から個体を引き離して移植することで、母集団を絶滅危機にさらすようなことはしてはなりません。付属書6.2
- 生態学的なリスク:ある種を移植すると、好むと好まざるとにかかわらず、移植先の他の種や生態系機能に大きなインパクトを与えてしまいがちです。移植された種自身の行動が、元の生息地にいた時とは変わってしまうこともあります。こうしたリスクは、もともとの生息地の外部に移植する場合の方が高く、また好ましくない影響のほうが何年も長引くことが知られています。
- 病気のリスク:移植を実施すれば、細菌や寄生虫の持ち込みを完全に防ぐことは不可能ですので、確実に感染拡大のリスクが生じます。考え得るすべての病原体について、病気を引き起こす可能性や深刻度など、それぞれ個体群にどの程度の影響がありそうか、移植プランの最初の段階から病気リスクの評価を行ないましょう。付属書6.4を参照。計画の進行に合わせて定期的な再評価も必要。
- 関連の侵略リスク:病原体を持ち込んでしまうリスクを別にしても、移植計画には、移植先の広範囲の生態系への細やかな配慮が欠かせません。移植しようとしている種が、移植先で侵略的外来種となる可能性を常に考慮してください(付属書6.5)。とくに水域や島嶼部への移植は要注意。
- 遺伝子の漏出:移植個体と在来個体との間での遺伝子交流は、reinforcement(補強)の目的そのものです。ただし、移植先が、歴史的に孤立状態の続いてきた個体群の生息地だったり、移植する種の近縁種や亜種が生息している場所だったりする場合は、招かざる交雑が起きてしまうリスクが生じます。交雑で生まれた子孫は環境適応力を欠く場合が多く、個体群の劣化を招きかねません(付属書6.6)。リスク評価の項目に必ず組み込みましょう。
- 社会経済学的なリスク:この種のリスクは大きくふたつあり、ひとつは、移植によって、地域住民や家畜が直接的かつ甚大なリスクを被る可能性がある、ということ。もうひとつは、こちらのほうがありがちですが、移植によって地域の生態系がバランスを崩すなどして、間接的かつ知られざる形で、地域の経済になんらかの損失を与えてしまう可能性がある、ということです(付属書6.7)。とりわけ元来の生息地外への個体の移植は、移植先の地域の社会経済に大きな悪影響を及ぼしがちで、住民の反感を買いやすいといえます。
- 金融リスク:移植計画を実行して期待された成果を達成するには、あらかじめ資金確保のメドを一定程度、立てておく必要があります。途中で計画を断念しなければならなくなった場合のことや、移植した種が何らかの損害を出した場合の予備費についても考慮してください。
- 環境保全活動(あるいは環境保全に対する不作為)に伴って生じるリスクは、時間とともに変化する、ということに留意ください。比較的大きな個体群の中から選んだ個体を移植する計画を想定すると、移植先の生態系に対するリスクをどう回避するかが最優先課題になるでしょう。でも、もし母集団自身が個体数を減らし始めたら、今度は母集団のリスクが高まり、そちらのリスク回避の優先度が増す、といった具合です。
リスクの全体像は以下のように要素によって決まります。
セクション7 リリースと計画実施
- 生物をリリースする段階までくると、いよいよ「保全移植」が実行されることになります。リリース先としていくら最適な場所を見つけることができたとしても、リリースの計画をきちんとデザインしておかないと、失敗します。ガイドラインのセクション4~6と8を再確認してください。法的な手続きをクリアしておくこと、地域社会で公的な協定を結んでおくこと、生息地管理、リリースする個体の確保、反対派への対処、リリース後のモニタリング体制を整えておくことなどが、とくに大切です。
- リリースした個体がその場所に定着して世代交代をし始めたら、個体数のモニタリングに移行し、その結果に基づいて個体数管理を行なうようにします。
7.1 リリース場所・地域の選び方
リリース場所は、以下の条件を満たす必要があります。
- 移植する個体になるべくストレスを与えないような、安全なリリースが可能なこと。
- リリースした個体が周囲の環境にすぐに慣れて、採餌できること。
- メディアや住民の要望に合致していること。地元コミュニティの意向を尊重していること。
リリース地域は、以下の条件を満たしている必要があります。
- リリースする種が生きていくために必要とする有機的/無機的要素をすべて備えていること。
- リリースした種の全成長段階において適切な生息地を備えていること。
- 一年を通して生息地の条件を満たしていること。
- めざしている保全レベルを満たすのに十分な広さであること。
- 生息地が分断された場合に備えて、近接地に生息条件を満たす余裕があること。
- 再導入個体群を損なう可能性のある場所から十分に隔離されていること。
7.2 リリースの戦略
移植対象の生物に関するあらゆる生物学的知見をリリース戦略に役立てましょう。付属書7に一覧を載せていますが、とくに重要なのは以下の項目です。
- 生後どれくらいの個体をいつリリースすべきかを決める際には、リリース後に自力でじょうずに分散していけるよう、同種の個体たちが自然状態で分散していく齢や季節を選びましょう。
- リリースする個体たちにその後、どのくらいのペースで増えていってほしいか、目標を定めてから、リリースする個体の齢や体サイズ、性比を決めましょう。
- リリースする個体数が多いほど(何年にもわたってリリースし続ける場合もあるでしょう)、移植の成功率は高まります。ただし、移植もとの個体群を損なわないように。
- 用意した個体を同時にすべてリリースする場合であれ、時間をおいて段階的にリリースする場合であれ、複数箇所でリリースしたほうが、その後の分散がうまくいく可能性が高まります。
- リリースした個体たちが元気に旅立てるかどうかは、リリース前段の捕獲・畜養・輸送・リリース前の処置といった行程でいかにストレスを与えないかにかかっています。
- リリース前後のさまざまな配慮も欠かせません。
セクション8 モニタリング、継続の工夫
8.1 モニタリング
遺伝状態のモニタリング
遺伝的な問題が移植計画の成否にかかわるケースでは、移植によって新たに定着する個体群、あるいは補強的な移植(reinforcement)などを受けた個体群について、遺伝的多様性が保たれているかどうかを評価しましょう。
健康状態と死亡率のモニタリング
移植後の個体群が病気にかかっていないか、健康を損ねたり、死亡率が上昇したりしていないかを評価します。悪化が認められる場合は、その要因を特定します。
社会・文化・経済状態のモニタリング
住民にモニタリングに参加してもらうと、地域社会の関心や支援の気持ちが高まるものです。移植活動に対するさまざまな意見を聞けますし、直接・間接的な利益につながります。
8.2 管理の継続(付属書8.2)
- 「保全移植」は、ゴールにたどりつくまで長い時間をかけて管理し続けなければならない場合もあります。いつまで管理し続けるべきなのか、管理方法をどの段階で次のステップに移行すべきなのかは、モニタリングの結果を見て判断することになります(図2)。移植が目指す最終ゴールやタイムスケジュールも、モニタリングの結果を見ながら調整します(セクション4)。
- 移植を実施した後で会得した「学び」を、次の機会に反映させる「順応的管理アプローチ」で、管理方法を進化させましょう。そうやって改良した管理モデルがうまくいくかどうかを、今度はモニタリングによってテストします。このプロセスを踏むことで、つねに最善の証拠に基づいた状態で管理できます。
セクション9 情報公開 付属書9
移植計画の初期段階から、定期的な報告や情報公開を欠かさないでください。情報公開することによって、「保全移植」そのものに有益なことはもちろん、こんな効果を期待できます。
- 「保全移植」に不信感を抱いている人たちに、その公正さが伝わり、理解してもらえるようになります。
- 法令上の要求に応えます。
- あちこちの事例報告が査読つき専門誌(学術的な水準の高さを保証してくれます)に掲載されることで、保全移植に関する科学の進展に寄与します。たとえ失敗事例の報告でも、成功事例の報告と同じくらいの価値があります。
- 情報公開の方法は多岐にわたります。新聞・ラジオ・映画などのマスメディアを通じた発信はもとより、住民参加型の公聴会・審議会を開催したり、インターネット上のバーチャル会議やSNSを利用したりする方法です。情報を伝えたい相手に合わせて、適切なメディアや言語を選びましょう。