2022/03/06、2022/09/05
私たちオビラメの会は、尻別イトウが絶滅寸前まで追いやられてしまった危機的状況に強い危惧を抱いた流域の釣り人やイトウ研究者、ジャーナリストたちが中心となって1996年に「誓詞」をもって立ち上げた、尻別川流域で活動する草の根環境団体です。「オビラメ」はイトウを意味するアイヌ語に由来します。
「いつまでもイトウの棲める、イトウの釣れる尻別川」の実現を目指して、地元の流域住民のみなさまや全国のサポーターのみなさま、また流域の行政や各種公的機関、北海道内外の企業や各種団体のみなさまから、ご理解やご支援をいただきながら活動を続けています。
「絶滅危惧種の保全とその種を対象とした釣り」という一見相反する行為を両立させるためには、尻別イトウと私たち釣り人との共存が不可欠です。そのためには、私たち釣り人が主体的に行動するための「イトウからのお願い」という以下の4つの実践が必要だと考えます。
1.イトウが釣れたらリリースしよう
釣りの楽しみを永続させるためには、対象魚がそこに棲み続けていることが大前提です。イトウは長寿で約20年の生涯のうち6~8歳で性成熟したあと、何シーズンにもわたって繰り返し繁殖します。母魚は一度に3,000~1万粒を産卵しますので、もし親魚を死なせてしまうことは、生まれてくるはずだった大量の次世代イトウたちの命まで奪うことになります。いまだ絶滅が大いに危惧されるほどの個体数しか生息しておらず、たった1尾でもその命を奪うことは尻別川にかろうじて残っている小さな群れの存続に重大な悪影響を及ぼしてしまい、絶滅を加速させることになりえます。
今すぐ釣りが禁止されても不思議ではないほどの生息数しかいない尻別イトウです。サイズや数にこだわることなく、あなたが出会えた貴重なその1尾を大切にしてみませんか。
釣れたイトウを極力水から出さずにやさしく丁寧に扱って元気な状態で流れにリリースすることはもちろんのこと、あらゆるダメージを最小化すべく、強いライン、リール、ロッドと、バーブレスのシングル・フックを使用しましょう。それらの行為が次にイトウに出会える確率を高め、イトウと釣り人双方にとって明るい未来へとつながっていくことになるでしょう。
釣ったイトウを元気なまま生かして流れに戻す行為は、みんなが笑顔になれる行為でもあります。
釣り人のための実践的「イトウ保護」テクニック 坂田潤一さん/井手道雄さん
2.繁殖期のイトウ釣りはやめよう
大好きななにかを失うことほど、悲しいことはありません。私たち釣り人にとって、尻別イトウを失うことは非常に大きな悲しみです。
もし逆にイトウが増えれば、将来私たち釣り人が尻別イトウに出会えるチャンスが増えるかもしれません(腕次第という面もありますが)。また将来世代の釣り人たちにもイトウを狙って釣るという機会を提供できる可能性が高まります。尻別イトウという大切な地域の宝物を次世代に引き継ぐ責任を今を生きる私たちが担っていること、また流域住民のみなさんにとっても大切な共有財産であることも、忘れないでいたいものです。
2000年ごろ、約5年かけて尻別川の全流域を調査し確認できた尻別イトウの産卵床は0(ゼロ)でした。そして2021年の春、尻別川流域で確認されているイトウ繁殖地は、2010年にほぼ20年ぶりに再開した自然繁殖地と、当会の再導入によって繁殖が定着しつつある場所を合わせても、まだたったの2か所だけです。尻別イトウは絶滅の危険水域からまだまだ抜け出せていません。私たち釣り人は「自然収奪者」ではなく、より多くの釣り人のみなさんと一緒に「川や魚の守り人」でありたいと思います。
年に一度、春のイトウ繁殖期(4月1日~5月31日までの2か月間)はロッドをケースにしまって、「繁殖期のイトウを釣らない」という行動で尻別イトウたちを大切に守り、命をリレーする恋のドラマを温かく見守っておきましょう。
産卵期の見守り活動にどうかご協力ください。そして、もし私たちと一緒に見守り活動をしたい方がいらっしゃれば、下記の事務局までご連絡ください。
イトウの保全と釣りの両立というのはハードルが高いですが、みなさまと一緒に取り組んでいきたいと思います。
3.農道・農地に駐車するのはやめよう
尻別川の名前は、アイヌ語のシリ・ペッ(Shir・Pet 山の・川)に由来します。126Kmもある本流や数多くの支流を含む広大な流域内尻別川流域にはたくさんの農地が広がっており、そこで働かれている農家の方々の中には、オビラメの会の活動にご理解・ご賛同くださっている方々もいらっしゃって、イトウの存在を気にかけてくださっています。イトウを大切に思う気持ちは、農家のみなさんも私たち釣り人も同じです。
流域住民の方々に歓迎される釣り人とはどんな釣り人でしょうか。
「歓迎される」とまではいかなくても、「厄介な存在」となることは、避けたいものです。もし地元の方々とトラブルを起こしてしまっては、せっかくの魚釣りが台なしです。
不必要なトラブルを回避し、安全で楽しい釣りの1日をどうか楽しんでください。
4.川を汚さず、ごみは持ち帰ろう
川は本来美しいものです。そして、川は私たちの心の在りようを表す鏡のようなものかもしれません。
川からごみを持ち帰る、というのは、自分のごみだけで十分でしょうか。いつ訪れても美しい川の景色の中でイトウ釣りが存分に楽しめる日や、イトウと釣り人にとって最高の川というのは、ただ待っているだけではいつまでもやって来ないでしょう。
ポケットにごみ袋を一つ忍ばせて釣り場に行く心の余裕を持ち、来た時よりも美しく、そしてごみの代わりに、イトウがあふれる尻別川を私たち釣り人みんなの手で取り戻していきませんか。
北海道自然環境課「希少魚種イトウ保護のために」
北海道自然環境課・特定生物グループは2009年3月、「希少魚種イトウ保護のために」と題するリーフレットを発行して「産卵期である3月から5月の期間は、遡上する河川の中上流や産卵場所でのイトウの保護にご協力ください」などと呼びかけています。
「尻別川連絡協議会」を構成する尻別川流域の7つの自治体(蘭越町、ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町、京極町、倶知安町)は、尻別川統一条例(2006年)をもち、「日本最大の淡水魚であるイトウをはじめとする希少な生物に対する保護について特に配慮する」(第17条)と定めています。
オビラメの会が復元をめざす「1960年代の尻別川のイトウ釣り」
故草島清作・オビラメの会初代会長の語録から
故草島清作・オビラメの会初代会長の語録から
くさじま・せいさく 1929年7月、東倶知安村(現在の京極町)生まれ、2019年5月逝去。右の写真は、ありし日の草島さん。撮影・足立聡
「野武士の生き方にあこがれてね。一般的な『釣り師』でなく、『イトウ士』と称してきた。だが同じサムライでも、刀を2本下げてふんぞり返ってるようなのは、気に入らない」——尻別イトウを追いかけ続けた半生をふりかえって
「尻別川の魚は村人の重要なタンパク源だった。ウグイは味噌(みそ)汁やソバのダシ、ヤマベは塩焼きにしておかずとして食べる。もちろんイトウも、食べるために大人たちが釣っていた」——昭和初期の少年時代の思い出
「針に掛けたウグイに、イトウが食いついたんだ。いきなりゴーンときて、もちろんウグイもろともいっぺんに持っていかれた。イトウの潜んでいる場所では、ふつうウグイのような小魚は見当たらない。みんな食べられるか、さもなければ逃げてしまう。逆にいうと、ウグイがよく釣れるような場所にはイトウはいないもんなんだ。ところがその日は違った。これがイトウなのかって、そりゃあショックを受けた」——10代のはじめ、尻別川で初めてイトウに出合った時の記憶
「当時の尻別川では、イトウは決して幻なんかじゃなかった。たくさんいたんだ。そもそも3尺(約90センチ)を越えなければイトウとは呼ばなかった。それ以下はピンコ(雑魚)扱いなのさ。この手製のタックルで、ピンコはいくつか釣れたが、初めて90センチを越える本物のイトウを釣ったのは、よく覚えてるよ、中学3年の6月15日だ」——〝本物の〟尻別イトウを初めて仕留めた日の記憶
「もともと研究が好きな性格だったんだ。ヘラで大事なのはブレードの形と、もうひとつ、こっちがより重要なんだが、ブレードの中に仕込むナマリの配分バランスなんだ」「2枚のブレードで鉛を挟み込むサンドイッチ構造にして、初めて思ったようなものが出来たんだ。でもそれだけじゃない。どの部分にどれだけ鉛を流し込むか、そこまで微妙に調節してあるのさ」「そいつが一番の宝物だ。70本以上のイトウをそいつ1枚で釣ってるからな」——オリジナル・ルアー「草島之型ヘラ」の解説
「おれの釣りに出会い頭はない。淵(深み)や瀬に潜んでいる魚に狙いをつけたら、テクニックを駆使して誘い出して釣るんだ。それに、今と比べものにならないくらい、魚影も濃かった。あるポイントの魚を釣り上げても、4日もたてば、またすぐに別の魚が入ってきたからね。予備軍の魚がたくさんいたんだ」——1950年代の尻別川について
「水中に電柱が1本立つんじゃないかというくらいの深ーい淵さ。大きな倒木が隠れてて。粘土の地盤で、それが水流にえぐられて穴になって、そういうところに大きなのがいる。だいたい、イトウは夫婦がペアになって流れの中にいるもんだが、実はその時も、もう1匹、1メーター60くらいのがいた。3回掛けて、3回ともバラした(釣り落とした)がね。おれが上げられなかった魚はあいつだけだよ」——1957年、自己最高記録となる1m53cmの超大物を仕留めた時の思い出
「でもちょうど昭和40年ごろだな。ブルトーザーが川に入っているのを目撃して、これはいかん、と直感した」「狙ったポイントにイトウがいない、という日がだんだん多くなった。それに、1匹釣ってから次の魚が入るまでの間隔が、それまでなら4日だったのが10日経っても入らない。川の自然環境がどんどん破壊されて、予備軍の育つ場所もなくなってきてしまったんだ」——1965年、建設省が尻別川を「一級河川」に指定した後の状況
「今の尻別川は川じゃない。ただの排水路だ。川はほんらい自浄能力を持つはずだが、河畔林をあんなに丸坊主にしたり、流れをすっかり直線化してしまっては……。尻別川を昭和40年ごろの姿に、もう一度戻したいんだ」「イトウが希少になってきたから守る、というんではないんだ。これまで本当にたくさん釣ってきて、尻別川のイトウの素晴らしさを知り尽くしている自分だからこそ、その素晴らしさを世の中の人たちに伝えたいのさ」「まあ生きているうちに、若い人たちにできるだけ自分の考えを残しておかないと」——1996年、「オビラメの会」を立ち上げた思い