尻別川「釣士」のイトウ雑学
尻別川の未来を考えるオビラメの会会長 草島清作
2000/06, 2017/07/27
北海道南部、羊蹄山麓を巻き込むようにして流れる道南最大の川「尻別川」。この川を象徴するのはやはり、魚類の頂点に位置するイトウであろう。このイトウの生態については、あるていど研究されてきてはいるが、未だに未解明な部分があることは否めない事実である。そこで、過去数十年に亘る釣りの実績と経験に基づき、私の考えをご披露したい。この尻別川のイトウの自然の生態についての、いわば「尻別川イトウ釣士」の目から見た現場におけるイトウ雑学である。
繁殖について
イトウ Hucho perryi
ブラウントラウト Salmo trutta Linnaeus
カワマス Salvelinus fontinalis
アメマス Salvelinus leucomaenis
オショロコマ Salvelinus malma malma
ミヤベイワナ Salvelinus malma miyabei
ニジマス Oncorhynchus mykiss
サケ Oncorhynchus keta
ベニザケ Oncorhynchus nerka
カラフトマス Oncorhynchus gorbuscha
マスノスケ Oncorhynchus tshawytscha
ギンザケ Oncorhynchus kisutch
サクラマス Oncorhynchus masou masou
イトウは学術的にはサケ科魚類で、「イトウ属」に分類されている。しかし、サケ科ではあっても、サケやサクラマスなどのような「産卵後の斃死」はない。数年にわたって産卵を繰り返すのである。この点、ほかのサケ科魚類とは一線を画している。尻別川の場合、イトウの雌は生後5年くらいで成熟するのではないか、と思われる。雄は5年から6年で成熟すると思う。
数年にわたって産卵を繰り返す、といっても、雌は毎年抱卵するわけでない。3年か4年に1度、産卵するのではないかと思われる。
養殖のイトウならば“食料事情”が良いので、毎年の抱卵も可能かと思うが、自然の中での食餌事情は決して良くはないと思える。したがって、河川に自然に生息するイトウについては、産卵も養殖イトウのように頻繁にはいかないと思えるのだ。学術的な研究は主に養殖魚で行われている。自然生息の野生のイトウとは異なるのである。
雌雄判別について
イトウの雌雄判別は難しい。産卵期であれば、雄は体側が赤みを帯びるので(いわゆる婚姻色)この時期の判別は容易ではあるが、それ以外の時期は困難だ。あえて言うと、雄は全体に大柄で、ごつい感じがする。雌は全体が丸みを帯びて優しい感じがするのであるが、なかなか判別は難しい。
呼び名について
北海道先住民族であるアイヌの言葉で、イトウは「チライ」「オピライメ」「トシリ」などと呼ばれている。これら呼び名は、土地によって異なる方言なのか、それとも魚の種類(タイプ)によって違った名前をつけられていたのか、判断は難しい。
かつてアイヌの人たちにとって、イトウは食料、また衣服や履き物の素材として、切っても切れない縁の魚だったろうことは、伝承などから伺い知ることができる。
私は少年時代からイトウを釣りはじめ、釣った魚は必ず食べたものだったが、その身は甚だ美味である。ただし、味は捕獲時期によって異なる。秋10月、水温が極端に下がるこのことになると、脂ののった「美味い」イトウが捕れる。味に関していえば、この時期から、翌年融雪期を迎える3月までがこの魚の旬である。この時期のイトウの食味は、マグロのトロどころではない珍味だ。
イトウの皮はサケの皮より数段丈夫で、かつてアイヌの人たちは、この皮を利用して衣服や履き物を作っていた。
イトウの呼び名に話を戻すと、これほど生活に密着した魚だったからこそ、アイヌの人たちはいろいろな名前で呼び分けたのだろうと思う。方言もあったかもしれない。しかし私は、かの狩猟採集の民には、魚の姿形の微妙な違いを一目で区別する鋭い観察眼が備わっていて、そうやって区別したそれぞれに名を与えたのだ、と考えたい。
その根拠はこうである。
尻別川のイトウを、アイヌの人たちはかつて「オビラメ」と呼んでいた、と私は聞いている。そうして、尻別川のイトウは、他の水系のイトウとは形態が大きく異なると私には思えるのだ。
他の河川のイトウと比べてみると、尻別川のイトウははるかに太く、巨大なのである。同じ長さのイトウの体重を比べれば一目瞭然、1.3~1.4倍も太っているのだ。
イトウは日本産淡水魚の中で最も大型化する魚で、2メートル以上に成長するともいわれている。私の釣り人生では、そこまで巨大化したものには残念ながらお目にかかったことはないが、尻別川で目撃した最大は1.7メートルくらい。釣り上げたものの最大は4尺7寸5分(1.57メートル)である。当時の釣り具で仕留めるにはこれが限界のサイズでなかったかなと考えているのだが、もしその時代、現在のように釣り具が発達していたならば、2メートルのイトウも夢ではなかったものと思っている。
さて、イトウがここまで巨大化できるのは、川から海に下る「降海性」を有するが故、というのが私の考えである。だが、川から出ても、せいぜい汽水域(川水と海水の混じり合った水域)までで、真海水域までは出ないのではないか。それを証明できるものはないが、「イトウが海岸近くの網にかかることは稀にあるが、沖の網にはかかったことがない」と漁師に聞いたことがある。
さて尻別川は日本海に流れ込んでいる。北海道の日本海沿岸は、岸辺近くからドン深となっている。そのため汽水域は非常に狭い。したがって、降海したイトウは河口からそれほど遠くまでは行けないのではないか。尻別川の近くでイトウの生息河川といえば石狩川だが、上のような理由で降海したイトウたちはお互いに河口から離れられず、魚同士の交流はなかったと思われる。
それにひきかえ道北、道東の海は岸辺からはるか沖に至るまで浅海である。汽水域も沖合まで広がっているものと考えられる。汽水域が広ければ、各河川から降海してきたイトウにすれば、生まれた川とは別の新しい河川へ向かうなど、交流は容易であろう。
こうしたことを考えあわせると、尻別川のイトウについては、古くからよその河川の群れと交流することのないまま、独自に進化してきたと思われるのだ。尻別川のイトウが、太くて巨大である理由はここにある、と私は考えている。そうして、アイヌ民族は尻別川のイトウを特別に「オビラメ」と呼び分けていたに違いないと私が考える、その理由も。
とはいえこれはあくまで私の推論に過ぎない。このさき、遺伝子分析などが行われれば、こうした謎も解明されていくだろう。
イトウは浮気者?
今までの釣り人生の中で、イトウの産卵を見たのは2度や3度ではない。
尻別川のイトウの産卵期は、4月下旬から5月上旬である。融雪期を過ぎて山の雪がほぼ消えかかったころから、逆に減水期にさしかかるそのわずかな期間に産卵を済ますのである。
イトウは産卵のため、支流のはるか上流までさかのぼり、水通しのよい礫層で、砂利の粒がかなりそろった場所を選ぶようである。
しかしそのような場所は、かつての尻別川のような原始河川でなら簡単に見つけだすことが出来ようが、現在のような「人工河川」では、支流は必ずといっていいほど砂防堰堤でせき止められている。しかも魚道もない。こんな状況の今日、尻別川の支流では100%、イトウの産卵など見ることができないであろう。
従って、尻別川のイトウはいま、本流での産卵を余儀なくされているのだが、その本流でも毎年毎年、河川改修が繰り返されている。
タイミングの悪いことに、増水期から減水期に移るころ、前年度に施工された農用地工事、河川工事などによって痛めつけられた土地から、泥水が一気に川に流れ込むのである。泥水には「シルト」が多量に含まれている。せっかく産みつけられた卵にこのシルトが付着すると、死卵になってしまう。シルトはさらに、イトウ稚魚の餌となる水棲昆虫(トビケラ、カゲロウ類)をも死滅させてしまっている。
人間は、人間以外の動植物のいのちをなぜ軽視してしまうのか。少しばかりの便利さを追求するために、動植物のいのちなどものの数ではない、という考え方。地球上の動物たちの頂点に位置するのだと自負するのならば、もう少し生き物たちへの思いやりを持つべきではないのか。
公共事業の河川改修ひとつとっても、ろくすっぽ環境調査もせず、やたらと破壊を繰り返すばかり。あとは野となれ山となれ、とでもいわんばかりである。
河川環境も地球環境も何も分からないような役人たちが設計するのだから、環境保護や自然との共生など、ほど遠い話かも知れない。川の石1つ、河原の木1本動かすことによって、回りにどれだけ影響が及ぶか、周囲にどのような変化を与えるか。まるで分かっていない。
行政職員たちは皆一様に公務員試験をパスして、それぞれの地位についているとは思うが、せめて河川に携わる役人には、工学だけでなく環境学もしっかり学んできてほしい。
もちろん役人たちの中にも、環境保護を考えない河川行政のやり方を「否」と考えている人たちも大勢いると思う。しかし、もしその考え方を声を大きくして論ずれば、たちまち役所の中で居場所を失ってしまうのではないか。自分の将来を考えて、その声も飲み込んでしまうより仕方ないのであろう。間違いを間違いといえない雰囲気が、現代の日本の官僚制度にはあると思う。しかし、それは改革していかなければならない。
どうも脇道にそれた。話を本筋に戻そう。尻別川がまだ原始河川の姿を保っていた時代、本来的な産卵環境である支流上流部で私が観察したイトウ産卵の様子である。
放卵を済ませた雌は、産みつけたばかりの産卵床に、尾びれを使って器用に砂利をかける。と間もなく、流れをさらにさかのぼって姿が見えなくなった。
少ししてから後を追って歩を進め、100メートルほどのぼると、先ほどの個体と思われる雌が、盛んに尾びれで砂利をはね除いている。イトウは1どきに何回かに分けて卵を産むのである。
ところが、である。そのそばには、雄が並んで、盛んに体を振るわせているのだが、その雄がどうも、さきほどペアを組んでいたのとは明らかに違う個体なのだ。
不審に思って見直したが、やはり雌は先ほどの個体、雄は違う個体……。
こういうケースを私は何度も目撃している。
そうして独断ではあるが、こんな結論に達したのだ。
「イトウとは浮気な魚である」
イトウの住処
産卵前のイトウは一定の場所に定着する。それも必ずといっていいほど、つがいで棲んでいるのだ。古くから、大物を1匹釣り上げたら、そこには必ずもう1匹いる、と言われてきた。最近まで、といっても20年ほど前までだが、尻別川でも同じことが言えた。
イトウにとっては、簡単に餌のとれる場所が、すなわち「住処として優れた場所」なのである。川の中で、最も餌のとりやすいような場所には、必ず大物のつがいがいた。2番目にとりやすい場所には、それより少し小さめのつがい。以降順に3番目、4番目と、大きくて強い魚のつがいほど、有利な場所を「住処」として利用していたようだ。
そうして、2番手、3番手のイトウたちはいつも「一番の住処」を狙って手ぐすねを引いている。「1番の住処」でイトウを釣り上げると、4~5日もすれば別のイトウのつがいが入ってくる。だから、1度そんなポイントをつかめば、同じ場所で短期間に多くのイトウを釣り上げることが出来た(しかも大物から順に)のである。
好物はドジョウ
イトウはヘビやネズミまで食べる、という説が流布しているが、私の釣り上げたイトウの腹にそのようなものが入っていたことは一度もない。いわれているような悪食は、事実だとしても、イトウが川に溢れんばかりにいた時代のことであろう。
たしかにイトウは生きた餌を好む。胃の中を見ると、ウグイ、ドジョウ、スナヤツメを好んで食していることが分かる。ドジョウやスナヤツメは特に好物である。
従って釣りにも生き餌を使うのが鉄則で、生き餌であれば、釣りバリが多少はみ出していようと、猛然と食いついてくる。
かつてイトウは、サケやマスを食害する害魚として扱われていたのだが、実際には、アユなども含め、食べない。というか、素早い動きのものは捕まえられないのが本当である。
弱点はストレス
釣ったイトウを生かしたまま持ち帰って飼おうとしても、なかなか長生きさせることが出来ない。イトウはストレスに極端に弱いようなのだ。とりわけ雌が弱い。同じ環境で飼っても、先に死亡するのは雌である。比較的飼いやすいのは五〇センチ前後の雄だ。
最後に
以上申し述べたのは、イトウ釣り士としてのイトウ雑学であり、研究者とは考え方も、またイトウの見方も違いのあるのは当然と思う。だが、このことはぜひ強調しておきたい。私がイトウ釣りにのめり込んだ時代のように、川のいたるところにイトウが躍動しているような、そんな尻別川をもう一度、見たい――その思いだ。
もちろん、イトウは「尻別川のイトウ」でなければならない。他の河川の個体を採捕・採卵して養殖した魚を尻別川に放流すればこと足りる、と考える人もいるかも知れないが、私は「尻別川で育まれたイトウの遺伝子」をあくまでも尊重したい。
これまでいく世代にも亘って尻別川で行われてきた生命の自然の営みを、決して無にしてはならない、と思うのだ。
(2000年6月記)