尻別川から考える気候変動時代の河川管理とイトウ保全

2023/01/30、2023/06/21

尻別川から考える気候変動時代の河川管理とイトウ保全勉強会の主旨
当会は、絶滅の危機に瀕しているイトウ尻別川個体群の復元をめざし、流域各町村の住民のみなさま、河川管理者、そのほかの関係諸機関と連携しながら、イトウ繁殖環境の修復と稚魚放流を組み合わせた「再導入」に取り組んできました。近年の水害リスクの高まりにともない、河川管理政策が大きく転換するなか、今後新たな河川工事による水域生態系への影響を抑えるには、どんな準備が必要なのか、サケ科魚類の保護管理に詳しい卜部浩一さんを講師にお迎えし、流域のみなさまとともに議論を深めます。

日時 2023年3月5日(日曜)14:00~15:30
会場 ニセコ町民センター

写真撮影:坂田潤一

卜部浩一さん講師 卜部浩一(うらべ・ひろかず)さん
博士(農学)。北海道立総合研究機構さけます・内水面水産試験場さけます資源部さけます管理グループ研究主幹。共著書に『サケ学大全』(北海道大学図書刊行会)など。現在は「野生サケ資源の増加に資する河川環境の再生に関する研究」に取り組んでいる。


みなさん、こんにちは。私はサケ・サクラマスの生息環境や産卵環境、どういう環境であればサケやサクラマスが住みやすいのか、産卵しやすいのかということを中心に研究しています。平たくいうと、魚が住みやすい川の環境とは何か、そういうことを調べていて、産卵床に観測井戸を掘って水の流れを調べたり、遡上できないサクラマスのためにダムをスリット化する、といった仕事をしてきました。きょうはその経験に基づいてお話ししたいと思います。

尻別川水系のイトウを絶滅させないためにいま必要なことは何か、と考えてみると、まずイトウの一生のうち、死亡率の高いとされる時期(授精卵〜稚魚期〜幼魚期)にイトウたちが過ごす環境を復元していくことが非常に大事になってきます。


人工的な落差を解消する

イトウ親魚が産卵するには、適当なサイズの砂利のある環境が必要ですが、それ以前に、そうした場所まで親魚がのぼっていけるように条件を整えることも重要です。産卵場所までたどり着けないままだと、魚はいなくなってしまいます。また、卵が孵化して、稚魚から幼魚へと育っていくためには、川の中に流れが緩い場所(餌を食べる環境)や、岸辺の植物などで水面がカバーされた状態の場所(隠れる環境)などを用意してやることも重要です。

まず、親魚が自由に遡上できるように、川の分断を解消する必要があります。落差1mほどの小さな落差工ですら、(サクラマスなどに比べてジャンプ力の弱い)イトウは上れません。多くの人には「小さな落差工なんて、大した問題じゃないでしょう?」と見えるかもしれませんが、イトウにとっては致命的です。

河川工作物によって寸断された川で産卵遡上ルートを回復するには、従来は「魚道」が採用されてきました。でも、技術水準が未熟だった時代は、せっかく造った魚道が、すぐにゴミで詰まったり、肝心の魚が上りづらかったりして、機能を発揮できないケースが続出しました。

尻別川水系倶登山川でオビラメの会のみなさんが取り組まれた落差工改良工事は、堤体をV字に切り下げて上流側に斜路を設け、イトウが楽に遡上できる条件を満たすような改良が施されています。非常に良い構造だと思います。イトウは、同じサケ科のほかの魚類と比べて、遊泳力はそれほど強くありません。そんなイトウにとって良い魚道は、だいたい他の魚種にも有効です。これが1つのモデルになると思います。


尻別川水系倶登山川の落差工に造られたV字切り下げ・泳ぎ上り方式の魚道(2022年夏、平田剛士撮影)

もうひとつ、ダムの一部を根元まで切り下げて、水も土砂も自由に移動させる「スリット化」という方法も有効です。道内でも、砂防ダム・治山ダムなど、川の上流域のダムに適用される例が増えています。


多様な流れを取り戻す

次は、稚魚・幼魚期のイトウたちが過ごす環境の保全・再生策です。キーワードは「多様な流れ」です。コンクリートブロックを隙間なく並べて護岸した直線河川は、流速も水深も一定な水路と同じで、とても「多様」とは言えません。一方、自由にクネクネ折れ曲がりながら、流れの速い場所、緩い場所が交互に繰り返し現れるような自然河川は、多様な流れと言えます。そこでは、中州を挟んで本流と分流が維持され、増水した時だけ水が流れる氾濫原があり、地中に潜り込んだ川水が再び流れ出したりしています。

そんな多様な形態の自然河川で、各所の流速を測ってみました。たとえば春の融雪増水期、本流はゴウゴウ音を立てて流れていても、分流では0~20cm/秒、氾濫原では0~10cm/秒と、止水か、非常に緩い流速にとどまっていることが分かりました。イトウの稚魚にとって非常に適した流速条件です。多様な形態が多様な流れを生み出しているのです。

とすれば、「多様な流れ」を取り戻すには、川のかたちを多様化すればよい、ということになります。具体的には、(1)複数の水道(みずみち)をつくる、(2)増水期に水浸しになる氾濫原を設ける、といったことです。これらは非常に重要なポイントです。こうした川では、流れと接する川岸におのずと植生が発達して、川の生き物たちに隠れ場所を提供してくれるようになります。

その恩恵を受けるのはイトウに限りません。多様な流れの維持されている自然河川で、サケ稚魚を放流した後の時期に追跡調査を試みたところ、流速の早い本流ではまったく見つからず、流れの緩い氾濫原の分流などにたくさん集まっていました。イトウ稚魚のすみやすい川は、サケマスの稚魚たちにとっても非常に住みやすい環境なのです。私たちはサケマスを産業に利用していますが、イトウのすみやすい川づくりは、産業資源としてのサケマスの回復にもつながります。


「流域治水」への大転換

とはいえ、だったら現在まで建設してきた護岸を取り払って、川を自由に流せばよい、というのは極端な議論です。われわれ人間社会にとって治水が重要なのはいうまでもありません。近年の気候変動もあいまって、水害は激甚化しています。こうした状況で、「流れの多様性」をどう取り戻していけばいいのでしょうか。

「多様な流れ」に加えてお示しするもうひとつのキーワードが「流域治水/グリーンインフラ」です。いま、河川管理分野で提案されている新しい考え方です。

国土交通省「『流域治水』の基本的な考え方」から

これまで河川管理と自然環境は、それぞれベクトルの方向が反対でした。人間の利益を追求すると自然環境が劣化する、という綱引きの関係です。しかしこのキーワードが示すのは、人間と生き物の双方にとって「良いもの」を目指す、という方向です。

国交省が出した「『流域治水』の基本的な考え方」というマニュアルによれば、流域治水とは〈気候変動を踏まえ、あらゆる関係者が協働して流域全体で行う総合的かつ多層的な水災害対策〉と説明されています。1970年代から現在までの気象データを比べると〈時間雨量50mmを超える短時間強雨の発生件数が増加〉して、〈気候変動の影響により、水害の更なる頻発・激甚化が懸念〉されています。シミュレーションの結果、これまで50年に一度の確率で起きていた大水害が、今後は25年に一度の頻度で起きるとの予測が出ました。これまでの河川管理の設備や手法ではもはや洪水を抑制できず、水害が増えていくのを避けられない、という判断にいたったわけです。

そこで考案されたのが、名付けて「流域治水」です。具体的には、
(1)雨水貯留(浸透、溜池、水田)、(2)流水貯留(ダム利活用、遊水池)、(3)流下能力向上(河道掘削)、といった対策が検討されています。国交省の政策担当者がこんなふうに説明しています。

〈国土交通省では2020年7月の答申「気候変動を踏まえた水災害対策のあり方について」を受けて「流域治水への転換」をはかっています。この流域治水への転換にあたり、答申では「グリーンインフラの活用」を謳っています〉
中村圭吾、石川真義「流域治水とグリーンインフラ~グリーンインフラ官民連携プラットフォームの取組み~」土木技術資料63-3(2021)

「グリーンインフラ」という言葉は、2021年にできたばかりの「特定都市河川浸水被害対策法等の一部を改正する法律」(令和3年法律第31号。通称「流域治水関連法」)の付帯決議にも明記されました。正直、私は非常に驚きました。流域治水に取り組むのに、環境分野の関与が重要だと位置づけられていたからです。治水政策のこの大転換が、われわれの生活と、イトウを含む河川生物の双方にとってプラスになるきっかけ、よりよいものを生み出すきっかけになればと、非常に強く願っています。


「治水を進めるとイトウが喜ぶ」!?

グリーンインフラ(green infrastructure、緑色の社会基盤施設)は、「グレーインフラ(灰色のインフラ)」と呼ばれる従来型のコンクリート主体のインフラの対極にあるもの、という意味を込めた言葉です。国交省によれば、これまで「防災・減災」「地域振興」「環境」とバラバラに取り組んでいたものを、今後は極力重ね合わせて、その重なり合いの部分を「グリーンインフラ」と定義しています。また〈自然が持つ多様な機能を賢く利用することで、持続可能な社会と経済の発展に寄与するインフラや土地利用計画〉と定義する専門家もいます。

国交省ウェブサイト「グリーンインフラポータルサイト」から

国交省は、グリーンインフラを活用した流域治水対策の具体的な方法論も提示しています。たとえば、氾濫をできるだけ防ぐ・ 減らす対策としてグリーンインフラの手法を採ると、「湿地やレキ河原、干潟等の再生・創出による自然再生/生態系ネットワークの形成による付加価値としての活用/生態系ネットワークの形成/環境教育への活用等/持続可能な地域づくり再形成」といった環境面の効果が期待できる、といっています。「治水を進めるとイトウが喜ぶ」という、これまでは絶対に考えられなかったことが、いま起こりうる状況になっています。われわれはいま、非常に大きな転換点にいると思います。

国交省・東北地方整備局河川環境課「流域治水×グリーンインフラについて」から

河道掘削が「多様な流れ」を生む

道内ですでに実施されているグリーンインフラの事例をご紹介しましょう。黒松内町を流れる朱太川(2級河川、北海道管理)で実施された治水対策です。この水系にはダムはありませんから、大雨が降って、いったん川に入った水をなるべく貯めようと思ったら、両岸の堤防を高くするか、川幅(高水敷)を広げるしかありません。堤防のカサ上げは、グレーインフラ、川幅を拡張する河道掘削がグリーンインフラです。でも、グリーンインフラを採用するとして、工事前の写真をご覧いただくと、多くの方は、「こんなに河畔林の発達した川岸を取っ払う工事は、まずいんじゃないか」と感じると思います。

スライド提供:卜部浩一

でも、実際に掘削が終わってしばらく経つと、この区間が「多様な流れ」を生み出す「多様な形態」の川になったことが分かります。川は本来、幅広く横方向に振れながら流れるものです。これまで1本の細い流路に押し込めていた川に十分な余裕を与えて、左右に自由に動けるようにすると、増水時には水を貯留し、なおかつ生き物にとっても「多様な流れ」となる、まさにグリーンインフラが生まれます。

朱太川は有名なアユの川です。「清流めぐり利き鮎会」のグランプリを獲得(2016年)したこともありますし、地元の方たちの産卵環境回復の取り組みも注目されています。その朱太川で実施されたこの河道掘削は、その大切なアユの産卵場形成につながりましたし、サケも産卵できるようになりました。

グリーンインフラの視点で治水を考えていけば、川の生き物たちにもおのずとプラスに働いていく。生き物に非常に大きなインパクトを与えていた従来の河道掘削とは異なり、グリーンインフラとしての河道掘削は、本来の川の姿を回復するための、外科手術のようなイメージでとらえることができると思います。


直線河川を多様化する「バーブ」技術

もうひとつ、実例をご覧ください。北海道の農業地帯では、3面張りの護岸工事が施された川をよく見かけます。イトウの生息どころか、川と呼ぶことすらはばかられるほどですが、こんな環境でもなんとか魚類がすめるようにと考案された技術のひとつが、この「バーブ」という手法です。3面護岸の直線河川が、石を組んだ「バーブ」を設置して4年くらいすると、このような姿に変わりました。

スライド提供:卜部浩一

ここでは、河道掘削は行なわれていません。いろいろな制約や条件の下で、川幅を広げることができない場合でも、現在は自然再生の技術が向上して、ここまでできるようになっています。

本来は川幅を広げていきたいところですが、人間活動との関係の中で短期的にそれが難しい場合、小規模で局所的な再生ではありますが、こういった方法を組み合わせて、現実的な取り組みを進めることも大事だと思います。


カギは「あらゆる関係者」の協働

新たに導入された「流域治水」というコンセプトと、グリーンインフラの技術を活用して、イトウのみならず、産業資源であるサケマスをはじめ、地域産業にもプラスに働くような効果を生み出すことは可能だと思います。ニセコはすでに世界的な観光拠点です。そのブランド力をより高めることにもつながるでしょう。尻別川にイトウが再び増えて、安心してイトウ釣りを楽しめるようになったら、すごく魅力的な場所になると思います。そんな夢すら描ける時代の入り口に、私たちは立っていると思います。

今後は新しい法律に従って、「生物にとって良い川をつくることで治水能力も向上させる」というグリーンインフラのアプローチを、河川管理者もとっていくことになります。そのための検討委員会などに私も加わって議論することがありますが、そこで感じるのは、餅は餅屋といいますか、河川管理のプロたちは生き物に対してはプロじゃない、私たちは生き物のプロだけど河川管理のプロじゃない、ということです。どちらか片方ではうまくいきません。先ほどの国交省の流域治水の説明文も述べていたように、「あらゆる関係者が協働」する必要があります。治水・利水・保全、さまざまな立場の人たちが、知恵を持ち寄って、よりよい方策を見いだせるかどうか、それが問われていると思います。その意味で、尻別川の流域治水に、オビラメの会のみなさんのこれまでの取り組み、知恵や経験が果たす役割は非常に大きいと思います。きょうは会場に河川管理者のみなさんもお越しです。これからそういった議論が始まればと願っています。


講演「イトウの生息に必要な河川環境とその管理」
講師 卜部浩一さん 博士(農学)
   北海道立総合研究機構 さけます・内水面水産試験場研究主幹

日時 2023年3月5日(日曜)14:00~15:30
会場 ニセコ町民センター ニセコ町字富士見95番地
入場料 無料。お申し込みは不要です。
主催 尻別川の未来を考えるオビラメの会 090-8279-8605(事務局)
後援 後志地域生物多様性協議会


講師のご紹介 卜部浩一(うらべ・ひろかず)さん
博士(農学)。北海道立総合研究機構さけます・内水面水産試験場さけます資源部さけます管理グループ研究主幹。共著書に『サケ学大全』(北海道大学図書刊行会)など。現在は「野生サケ資源の増加に資する河川環境の再生に関する研究」に取り組んでいる。