連帯する「尻別人」たち 北海道・尻別川のイトウをめぐる気運
2001, 2022/01/07
文と写真・平田剛士(フリーランス記者)
「フライの雑誌」1995年早春号に収録
ニセコの山をゆったりと迂回しながら流れる尻別川(幹川流程126㎞)。あまたの釣り人を魅了し、さまざまなドラマを生んできた名川だが、近ごろ聞こえてくるのは荒廃を嘆く声ばかりだ。でもここへきて光が見え出した。尻別川の象徴ともいうべきイトウを守ろうと、ほかならぬ釣り人たちが発言し始めたのだ。
尻別川上流部、喜茂別町でパチンコ店を経営する藤塚佐喜雄老(70歳)は名だたる「イトウ師」である。尻別イトウのためのオリジナルルアー「良助ベラ」に今も名を残す故万谷(よろずや)良助の、老は直系の愛弟子だった。
これまで「数え切れないほど」釣ってきた。だが熱はまだ治まらない。案内されたのは4畳半ほどの「工房」。研磨機の止めてある小さな作業台に、作りかけの「良助ベラ」がいくつも光っている。鋼板から打ち出して形成するのだが、その最後のコツを師匠にとうとう教えてもらったのだと、老はまるで15の少年のように顔を輝かせながら話した。
ここの壁も巨魚の魚拓で埋め尽くされている。しかし日付は昭和40年代、50年代まで。近年のものは見当たらない。
近くの浅瀬に、春になるとメーター級のイトウが群れをなして産卵にやってきて、ほとりの農家は「鍬で突いて獲ってた」(!)。いつごろのことですかそれはと聞くと、やはり30年ほど前までという。
「いいとこ(ほとんど)改修し終わったんでないかぃ。昔はあちこち蛇行して、棲みやすいところ、たくさんあったけど、今なら本当にまっすぐな川になっちまったもの」
尻別川のイトウは老ほどの名人にさえ釣りにくい魚になっている。激減したのだ。
老はいつしか、釣ったイトウを川そばの池で飼い始めるようになった。十何年か前、人工繁殖にも成功し、池にはイトウがひしめくようになる。
ところが不心得者が、川で釣れないものだから、老の池から盗み始めた。闇に紛れて釣り上げようとするのだろう、防衛の網の被せてあるのに気付かずに投擲されたルアーが絡まって宙ぶらりんのまま遺留されていたこともある。
さらに南に位置する後志利別川「亡き」あと、ここは生息域の南限で、しかしそれも消滅寸前。尻別イトウの希少価値は一般に思われている以上に高く、ある人種には犯罪さえ厭わせないのだ。
いま池に残ったのは80センチ~1メートルの成魚が3匹である。
この老名人に1人の男が「夢」を語った時、計画はスタートした。
札幌在住の草薙直弘さん(55歳、自営業)。海もやれば川も好き、船竿も持てばフライも振るという分類不能の釣り師だ。釣り場に向かうことを彼は「病院に行く」と言う。
しかしこの1年半は「診てもらいに」でなく、もっぱら人に会いに尻別流域を歩き回っている。この川のために釣り人は何ができるか何をすべきか、それを語り合うのが目的だった。喜茂別・京極・倶知安・ニセコ・蘭越…。釣り仲間の人脈をたどり、自治体首長にも会いに行った。
「行脚」するうち、意気投合した1人が藤塚老だった。ともかく尻別イトウを絶滅の淵からすくい上げねば、と思いが一致する。
近くの道立水産孵化場真狩支場(真狩村)に支援を求めることにした。川村洋司支場長(44歳)は長くイトウの生態研究を続けている専門家。孵化技術のみならず川の環境問題にも詳しく、例えば空知川(石狩川水系)のいったん「死んだ」フィールドでイトウの自然繁殖復活を試みている。このエキスパートに即決で賛意を得て、「夢」は一気に実現に近づいた。
調べてみると、どの研究機関も尻別系イトウの種苗は保存していないことが分かった。すると老の飼育する3個体が俄然、重要味を帯びてくる。しかし3匹では心もとない。この冬中にあと数匹、川から成魚を入手し、春に本格的な人工孵化にかかることに決めた。新たな個体の捕獲は尻別川の釣り師たちに協力を呼びかけよう…。計画の第1段だ。
94年11月、このアイディアが地元紙に紹介されると翌月さっそく電話が鳴った。名を知られるイトウ師からで、いま90センチを釣り上げたのでぜひ提供したい、と。運搬器を載せたトラックを準備していたが、あまりの吹雪で現場に向かえず、結局リリースしてもらった。しかし先行きに手応えを感じるには十分な出来事だった。90センチをリリースしてくれたのだ。尻別のイトウを大事にしたいと考えている釣り人は少なくない!
「メーター級が群れをなして産卵に」の風景こそ過去のものとなったが、繁殖は完全に途絶えてしまったわけではない。いくつものダムや堰堤でズタズタに寸断されたこの川の、それでも最上流部と最下流部で幼魚が目撃されている。繁殖行動可能な環境が数ある支流のどこかにまだ残っている証拠だ。
この春、そこを突き止めることもする。そして公表し監視する。新たな環境破壊を早期に発見、直ちに「ノー」と言うための準備だ。これは計画の第2段。
「尻別川を昔に戻していこう、ということだな」
15の顔で藤塚老が話す。
「時代が変わって、まったく同じようには戻らんだろうけど、皆さんが気持ちを変えればある程度は出来るんでないかな。しゃにむに挑戦していこうっちゅう、その気持ちは強いんです。草薙さんに会って、それじゃ一緒にやるか、ってね」
全道ネットの法人釣りクラブの永久会員である草薙さんは初め、仲間とはかってクラブの事業としてこの構想を提案したという。でも理事会の反応は鈍く、けっきょく個人レベルで始めることにした。
「ピラミッド型の組織では何も進まないと分かった。釣り人同士は横方向に結び合って、互いにアイディアを出し合いながら声を上げていかなくてはね」
イトウ保護はこの構想のシンボルなんです、と草薙さんは話す。これを土台に、尻別川を新しいスポーツフィッシングの発信地に生まれ変わらせたいのだという。
「〝北海道の釣り〟ってのがあるんです。最後まで釣り切らないと気が済まない、そんな収奪型の釣り方が、川でも海でも今だに幅を利かせている。実は私自身もそういうのをやってきて、でもそれじゃ駄目だって気がついた。釣りの本当の面白さは別の次元にある、これは自己採点で楽しむスポーツなんだと。罪滅ぼしでもないけれど、この運動を通じてそんなことをほかの釣り人にも伝えたい」
尻別流域の住民たちを釣り人だけでなくみんな巻き込み、自治体まで動かして釣り場環境を改善していくのが当面の目標だ。コンクリートを大量に注ぎ込むやり方ですでに河川改修が進んでしまった本流部は、ルールによって管理しつつ積極的に釣り人に開放し、まだそれほど破壊されていない支流部分は野生魚のために保全を優先する。そんな基本プランを描いている。
幸いというべきか、尻別川で漁業権設定されているのはアユとヤツメウナギ(設定者は尻別川漁協)だけで、国家管理のサケ・マスを除くとほかの魚種は管理外だ。これを逆手にとり、イトウをはじめオショロコマ・イワナ・ヤマメ、あるいは放流ニジマス・ブラウントラウトといった魚について、自治体主導による釣り場管理を実現したいという。詳しい研究は今後の課題だが、本流のうちダムとダムに挟まれた半閉鎖区間では、漁業法でいう区画漁業権を自治体が設定できるかもしれない。するとルールの整備も可能だ。漁協主導型の内地とは一味違う、北海道らしいユニークな釣り場管理をここで模索したいという。
夢はさらに膨らんでいく。若い世代にイトウを知ってもらいたい。人工孵化・飼育の場面や自然産卵のシーンに子供たちを立ち合わせることはできないか。名付けて「イトウ探検団」。学校の授業に組み込んでもらえるよう教育委員会に働きかけるつもりだ。
新聞に紹介記事の載った翌日、草薙さん宅には68本の電話が入った。土木業者らしい人からの抗議もあったが(「俺たちの仕事を奪う気か」)、大方は激励で、魚釣りはしないが自然保護に関心があるという人からの協力の申し出の多さに驚かされたという。川やイトウを共通語に、釣り人は、釣り人でない人々とも会話できるのだ。そんな考えてみれば当り前のことが、しかし今ようやく、本当に当り前になりかけている。
草薙さんと、連帯に賛同した「尻別人」たちは、本誌発売のころには「尻別川のイトウを守る会」(仮称)を旗揚げしているはずだ。
「フライの雑誌」1995年早春号に収録。copyright 1995 Tsuyoshi Hirata/無断転載を禁ず