講演1「尻別イトウ復活を目指す30年計画」川村洋司さん/北海道立水産孵化場主任研究員、オビラメの会会員

2009/9/12, 2021/12/30

失われていた繁殖環境

川村洋司氏 豊平川さけ科学館でイトウのことについてお話しするのは、25年ぶりくらいになります。当時は私もまだかけ出しでしたが、その後、イトウの生態についての知識はずいぶん増えました。

 私はかつて、尻別川のほとりに建つ北海道立水産孵化場真狩支場で支場長を務めていました。1994年に赴任して間もなく、1人の釣り人が訪ねてきました。「すっかり数が減ってしまった尻別イトウを復活させたいので、相談に乗って欲しい」というのです。これが間もなく「オビラメの会」結成につながるのですが、私は「イトウが再生産している場所を見つけて、そこを重点的に保護すれば、いずれ個体数は回復するはずだ」とアドバイスしました。その時はそれでOKだと思っていました。

 ところが、実際に尻別川を調査してみると、肝心の「イトウが再生産している場所」が、いくら探しても見つからないのです。

 イトウは、繁殖期を迎えると川を遡上して、各支流の上流域で産卵します。卵を産みつける時に親魚が作る「産卵床」に特徴があって、他のサケ科の魚に比べるとかなりサイズが大きい。産卵後にできるマウンドの形もハート型をしています。何より、サケやサクラマス、アメマスなどが秋に産卵するのに対し、イトウは春産卵なので、春に新しい産卵床があればイトウだと目星がつきます。

 また、卵から孵化して川底から出てきた稚魚は、その後しばらくの間、水深のとても浅い、流れのごく緩い場所に定位して過ごす習性があるので、見ればイトウだと分かります。

 私たちは1995年から2001年にかけて、尻別川の50カ所以上で、繁殖期に合わせて産卵床探し・稚魚探しをやりました。結果は、たった1カ所で10cmあまりのイトウが1匹見つかっただけ! 尻別川のイトウ個体群は、再生産がほとんど行なわれていないという点で、すでに壊滅状態に陥っていると分かったのです。

 これでは今からいくら支流を保護してもイトウ復活は無理です。しょうがないので、人工孵化放流という選択肢をとることにしました。

なぜ「尻別川のイトウ」にこだわるのか

 そうした経緯で立案されたのが、「オビラメ復活30年計画」です。これは「尻別川産天然再生産個体群の復元」を大前提にしています。おおむね3本の柱からなり、(1)人工孵化放流には尻別川産のイトウを用いる、(2)イトウのすめる河川環境を復元する、(3)イトウ釣りのルールを確立する、といったことです。

 きょうは特に(1)のことをお話ししたいと思います。なぜ「オビラメの会」は、尻別川の魚にこだわるのでしょうか。

 尻別川以外にも、道内にはイトウ生息地があります。そうした川のイトウはどこでも全部同じ、と考えていいでしょうか? いいえ、違うんです。同じ「イトウ」という種名がついてはいますが、生息地ごとにはっきりとした違いがあります。

 「オビラメの会」の仲間でもある江戸謙顕さん(文化庁記念物課)たちの研究グループが最近、各地域個体群ごとにイトウのミトコンドリアDNAを解析して、地域によって遺伝子の構造に差異があることを突き止めました(イトウ生態保全研究ネットワーク「北海道に生息する希少サケ科魚類イトウの遺伝的構造と絶滅リスク評価」/財団法人自然保護助成基金・財団法人日本自然保護協会『プロ・ナトゥーラ・ファンド第17期助成成果報告書』、2008年)。

 それによると、北海道のイトウは、日本海・オホーツク海・根室海峡・太平洋の4つの地域グループに分けることができ、これは分布域ごとの地形上の距離ともおおむね重なっています。グループ間の「遺伝的な距離」は、サケやサクラマスのグループ間でみられる値より大きくて、イトウがそれぞれの生息地でかなり独自な進化を遂げているらしいことも分かりました。

 またこの研究によれば、同じ地域グループ内でも、生息水系が変わるとそれぞれ遺伝的な「分化」がみられ、と同時に各地域個体群同士はあまり交流していないようだ、ということが示唆されています。

 これは、人間の活動とは無関係に、北海道の自然環境に促されるかたちで、長い間にイトウたちに起きてきた進化の結果です。われわれはそれをいちばん尊重すべきで、そのためには「地域個体群単位で保護をする」ことがとても大事だと思います。
 このことを忘れて、もし「イトウと名前さえつけばどこの魚も全部同じ」と思い込んで移植放流などをしてしまうと、保護するつもりが、かえって逆効果を招いてしまいます。

 私は空知川・かなやま人工湖上流部のイトウ繁殖地で、長年にわたって「標識調査」をしてきました。イトウは長寿で、生涯に何度も産卵するのがひとつの特徴です。そこで、繁殖のために下流から遡上してくるのを待ち受けて親魚を生け捕りにし、個体識別のための標識をつけて再放流しています。翌年以降の繁殖期に標識魚が捕まったら、同じ魚が再び遡上してきたと分かるのです。ある支流で数年間調査を続けた結果、イトウには強い母川回帰性――同じ親魚がいつも同じ繁殖河川に遡上してくること――があることが分かってきました。

川ごとにことなる魚たちの個性

 イトウたちはなぜ母川回帰をするのでしょう?

 同じサケ科で、同じように母川回帰性の強いサクラマスを使って、こんな実験が行なわれています(小林美樹・村上豊・河村博「異系統交配サクラマスの降海行動」/北海道立水産孵化場『魚と水』31号、1994年)。

 魚卵が受精して孵化するまでの日数は水温によって変わるのですが、毎日の平均水温を足し合わせた値=孵化積算水温は種によってだいたい決まっています。ところがよく調べてみると、同じサクラマスでも、生息河川ごとに孵化積算水温にはっきりとした違いがあるのです。たとえば、尻別川(蘭越町)系群と徳志別川(北見市)系群とでは、20度近い開きがあります。また、これら2つの系群を人工的にかけ合わせた交配群について調べてみると、孵化積算水温はちょうど中間の値をとりました。つまり、孵化積算温度は明らかに遺伝によって子孫に引き継がれているのです。

 さらに尻別系群・徳志別系群・人工交配群を同じ川に移植して、スモルト(銀毛化した幼魚)が海に下る時期を比べてみると、尻別川と徳志別川の系群はくっきり分かれて、それぞれ母川と同じ時期に降海していました。いっぽう交配群は、どちらともつかないバラバラのタイミングになります。降海行動もやっぱり遺伝に強く支配されていることが分かります。

 また斜里川と尻別川とでサクラマスの交換放流を試みたところ、互いに地場産サクラマスの回帰率が圧倒的に高かった、という国の機関の実験結果も出ています(真山紘・野村哲一・大熊一正『サクラマス(Oncorhynchus masou)の交換移殖試験2 地場産魚と移殖魚の降海移動と親魚回帰の比較」/北海道さけ・ますふ化場『北海道さけ・ますふ化場研究報告43』、1989年)。

 強い母川回帰性を持つサクラマスたちはこのように、それぞれの母川でそれぞれ最適なタイミングを正確に見極めて生活史を送っています。母川ごとにそうした独自の適応(進化)を遂げ、遺伝によってその情報を子孫に伝えてきているのです。

 そんな魚を、同じサクラマスだからと人間が安易に移植して、異系統間で交配が起きると、いっぺんに不適応を起こしてしまいかねません。

 イトウの場合は、地域個体群ごとの違いはもっと顕著と言えるかも知れません。例えば、空知川個体群では雄のイトウは体長40cmほどの小さなサイズでも成熟して繁殖行動をとります。ですから空知川の繁殖地でペアを観察すると、たいてい雌のほうがはるかに大きいのです。ところが道北地方の個体群では、雄はより大きなサイズで成熟が始まるようで、ペアはどちらもほぼ同じ大きさ。こうした生態的固有性が、DNAレベルの解析でもはっきり裏づけられたというわけです。

 「地域個体群単位で保護をすることがとても大事」、と申し上げた理由をお分かりいただけたでしょうか。こんなわけで、オビラメの会は、あくまでも「尻別川産のイトウ」を大切にしたいと考えているのです。

地域との協働がますます重要に

 さて、オビラメの会にとって今後の課題をいくつか挙げておきましょう。

 イトウは川を上から下まで全部使って生存している魚です。流域が上流から下流まで、ちゃんとつながっていないとうまく生活していけません。ところが尻別川の本流には6カ所の大きなダムがあって、魚道はついているもののあまりうまく機能していなくて、イトウにとっては生活空間が寸断された状態です。支流も同様で、横断工作物が魚類の生息域だけに限っても595基(うち497基が落差工や砂防ダム)もあります。高さ1m~3mの小規模なものが主体なのですが、イトウにとっては繁殖地への移動が非常に制限されていて、再生産拠点の復元という目的を果たすうえでの最大の問題点だと思います。

 解決への第1歩として、オビラメの会と後志支庁農村振興課との協働で、イトウ再導入実験をしている支流の倶登山川の落差工5基に魚道が完成する見込みになりました。ひとつの大きな成果であり、今後に向けて下地が整ってきたといえるでしょう。

 オビラメ復活30年計画の第2期に入るこれからは、人工増殖する数万単位のイトウ稚魚を飼育していく体制づくり、いま1カ所しかない再生産拠点を増やしていくこと、イトウ釣りとの共存を図るための新しいリールづくり、といった目標を立てています。それにはお金も労力も施設も必要で、地域住民のみなさんや行政機関との連携をいっそう図る必要があります。でもそのことが、単にイトウひとりのことだけではない、尻別川の河川生態系全体の修復に展開していくと確信しています。

 オビラメの会による人工孵化稚魚の最初の再導入は、2004年の秋でした。そのイトウがちょうど6歳を迎える来春、もしかすると母川回帰してくる姿が確認されるかも知れません。そのことを期待しながら、私からのお話を終わりたいと思います。ありがとうございました。