北海道大学「イトウ海面養殖試験研究」について

2025/04/18、2025/05/17

オビラメの会は2025年4月、北海道大学水産学部に対し、同大学が北海道八雲町熊石漁港で計画している「イトウ海面養殖」について、以下の「お問い合わせ」を送付しました。同大学から届いた回答ととにも公開します。回答くださった北海道大学大学院水産科学研究院、都木靖彰研究院長に感謝もうしあげます。(2025/05/17)


オビラメの会から北海道大学への「お問い合わせ」

2025年4月16日

北海道大学水産学部長
都木靖彰 様

「イトウ海面養殖試験研究」に関するお問い合わせ

前略 当会は、絶滅危惧種イトウ尻別川個体群の保全・復元に取り組んでいる市民グループです。さる2月5日づけの『北海道新聞』に掲載された記事「イトウ海面養殖へ研究 八雲町と北大水産学部が5月から 実現すれば世界初」を拝見しました。

この研究がフィールドとされる八雲町・熊石漁港は、当会が活動する尻別川の河口(蘭越町)から比較的ちかく、無関心ではいられません。この野外研究にともなう生物多様性上のリスクについて、貴学のお考えをうかがいたく、たいへんぶしつけながら、本状をお届けいたします。ご多用とは存じますが、4月末までに書面にてご回答をちょうだいできればさいわいです。なお、本状とご回答は、当会ウェブサイトで公開させていただきます。

お問い合わせ

当会は「このたびの貴学の熊石漁港での養殖イトウが万が一、生け簀から逃げ出して尻別川などに迷入した場合、同種の在来個体群に遺伝的かく乱が及ぶのではないか」と心配しています。

北海道内各河川のイトウ個体群は、それぞれの河川ごとに固有の遺伝特性を継承していることが明らかにされています(イトウ生態保全研究ネットワーク/江戸謙顕・北西滋・小泉逸郎・野本宏和「北海道に生息する希少サケ科魚類イトウの遺伝的構造と絶滅リスク評価」プロ・ナトゥーラ・ファンド第17期助成成果報告書(2008))。

当会は、尻別川個体群が備えるこの個性をもっとも重視して活動に臨んでいます。具体的には、絶滅に瀕している尻別川個体群の復元のために、他水系からの同種(イトウ)の移植放流には一切頼らず、尻別川で捕獲した野生個体を母群とするストック(稚魚)の再導入によって、自然繁殖環境の再生を図っています。また活動の当初より、ウェブサイトなどを通じて広く「イトウの移植放流はやめましょう」と呼びかけています。

かつて東日本大震災のおりには、三陸沿岸などの海面養殖施設が破壊され、大規模な脱柵事故につながりました。このようなリスクに対し、熊石漁港におけるこのたびの海面養殖研究において、貴学がどのような防止策や事故対策を講じておられるか、差しつかえのない範囲でご教示ください。

以上、なにとぞよろしくおとりはからいください。
貴学のますますのご発展を祈念しております。

尻別川の未来を考えるオビラメの会
会長:吉岡俊彦 事務局長:川村洋司


北海道大学から届いた回答(2025年5月16日づけ)

原本PDF(350kb)

尻別川の未来を考えるオビラメの会
会長 吉岡俊彦様 事務局長 川村洋司様

北海道大学 大学院水産科学研究院 研究院長
都木 靖彰

前略

「イトウ海面養殖試験研究に関するお問い合わせ」を拝受いたしました。

お問い合わせ内容に関しまして、以下のとおりご回答申し上げます。

この度は、本学が八雲町と共同で実施する「イトウ海面養殖試験研究」に関しましてご意見いただきありがとうございます。貴会からのお問い合わせの内容は、貴会の「尻別川におけるイトウ個体群の保護活動」に当該試験研究が影響を与えるかも知れないという危惧から、当該養殖試験研究における逸走対策についてお知りになりたいものと理解いたしました。

本件につきましては、八雲町担当者・本学試験研究担当者に聞き取りを行い、その結果を踏まえて以下のとおりご説明申し上げます。

① 通常時に想定される逸走への対策

・ 本試験研究では、悪天候時の波浪などによる生け簀の破壊による試験魚逸走を想定した対策として、生け簀は漁港内に設置する予定です。

・ その他、養殖管理上の逸走対策では、施錠できる岸壁に生け簀を設置する(部外者侵入の防止)、生け簀天井網の設置(鳥及び跳躍逸走の防止)、魚の生け簀収容時における長めの暗渠ホース使用(収容時逸走の防止)、水揚げ作業時の周囲敷網設置(水揚げ時の逸走防止)、水揚げ時の電気ショック処置(水揚げ時の逸走防止)、毎日の目視施設確認と定期的な潜水確認(生け簀異常の早期把握)などの対策を実施予定です。

また、海面養殖試験を行う熊石漁港は、今年度から波浪による越波対策として、南防波堤の嵩上げ及び拡幅、ブロックの積み増しなどの漁港整備事業の実施が計画されており、これまで以上に港内の静穏性が高まり、波浪越波による生け簀の破損といった不安はさらに少なくなるものと考えております。

② 大地震による津波などへの対策

貴会からは、大地震による津波など異常事態への対応について知りたいとの記載がありました。これは、上記①で想定される通常事態ではなく、数十年~数百年に1回の異常事態時ということになりますので、誤解を防ぐために通常時とは別枠としてここに回答させていただきます。先ず、このような異常事態時は、そのレベルにもよると思いますが、最もシビアな一例として貴会が挙げられている入り組んだ三陸リアス式海岸における大津波のような事態が起こった場合、沿岸養殖ではどの様な生け簀形態であれ養殖魚逸走の可能性は否定できないことは認識しております。試験研究が行われる予定の熊石地区の漁港と、貴会のフィールドである尻別川河口は国道距離で約140キロ、海岸線距離では更に遠距離となります。貴会はこの距離を「比較的近く」と表現されておりますが、この距離が近いか遠いかは様々な考えがあり、客観的な議論が必要と認識しているところです。イトウの沿岸回遊は未知な点が多いものの、シロサケやカラフトマスなどの様に遠方海域へ回遊する魚種ではないことは御認識していらっしゃるかと思います。また、貴会からのお問い合わせにもご記載がありましたように、各河川でイトウの遺伝的隔離があるという事実からも、ある河川生まれのイトウが遠く離れた異なる河川へ遡上し産卵に参加する可能性は非常に低いのではないかと考えます。実際に過去に行われてきた北海道河川でのイトウ遡上試験調査成果では、その母川回帰性の強さが示されておりますし1)、貴会も同様の見解をHPで述べておられます。さらに、貴会の活動におきまして、イトウ保全のために、尻別川へ0+稚魚や1+若年魚を放流されているという記載がHPにございました。放流数はご記載がございませんでしたが、放流効果が認められつつあるということで、放流延べ数としては多大なご努力があったものと想像しております。一方で、この様な長年の放流活動が開始されて以降、今回の養殖試験研究が行われる八雲町熊石地区近隣海域や河川において、過去にイトウが増え捕獲されたという報告はございません。これは、逆に、熊石地区で万が一イトウの逸走があった場合でも、尻別川へ影響を与える可能性は無いことを示しているのではないでしょうか?今回の熊石地区での初回試験養殖規模は150尾から300尾前後を予定しており、他の地域でも実施されているサケマス海面養殖試験研究(数千尾から数万尾)や放流事業と比較しても、極めて少数規模単位となります。貴会のイトウの延べ放流数よりも少ない規模であるものと推察いたします。以上に記載したイトウの回遊生態、母川回帰性の高さに基づくと思われる河川毎の遺伝的隔離状況、放流後の限定的な分布状況、などの客観的な事実から、熊石地区の河川・漁港と尻別川河口の距離は、貴会のフィールドである尻別川のイトウに影響を及ぼすことのない必要充分な距離であると考えております。

参考文献1):福島路生「幻の魚イトウの回遊と河川の連続性」、国立環境研究所ニュース38巻5号 2019年12月発行。
https://www.nies.go.jp/kanko/news/38/index.html

③ その他

「イトウ海面養殖試験研究」は、以上のように通常時における逸走の可能性に十分に配慮し、本種の養殖適性を把握できる最低限の飼養数で実施する少数試験養殖です。養殖適性が評価され、本格的な養殖事業が開始されるかどうかは現時点では不明ですが、その様な事業化を見据えた場合、貴会からご意見をいただいたような「津波のような異常時の万が一の大規模逸走」に備え、北大側の研究部としては全雌化・不妊化等の技術開発にも現在取り組んでいる所です。本種の養殖試験研究に関する八雲町担当者・北大担当者の考えは、希少種イトウを養殖を通じて保全するものでもあり、原則的には貴会のHP上に公開されております以前の北大七飯淡水実験所宛の公開質問状に対する山羽教授の回答文と下記記載の一部の考えを除き、ほぼ同様のものと伺っております。従いまして、上記と下記の回答以外の当事者の考えは、先の山羽教授の回答文をご参照頂けましたら幸いです。

先の山羽教授の回答文に対し、貴会からはHP上に、(1)イトウは「家魚」化に不適切な魚、(2)北海道大学はベクトルを再考すべき、との見解が後追い記事として掲載されています。(1)の根拠として挙げられております「世代年齢10年に及ぶイトウは家魚化には明らかに不適」とのご指摘は、育種に時間がかかるので不適というご指摘と理解しました。これは北大の持つ系統においては正しい記載ではなく、栄養状態の良い飼育環境では、通常雄は早ければ3~4年で成熟(雌は5~6年)します。また、昨今の技術革新により、さらに積極的にニジマスをホストとした借り腹生産などの先端技術を利用する場合、ニジマス同様の早期サイクルでの育種が可能となるかもしれません。この場を借りて、HP上の記載を訂正していただきたく,お願い申し上げます。

また、(2)に関しても、試験研究担当者は人類の飢餓問題を解決するための手段という目的だけではなく、養殖をすることで希少種の保全に繋げたいとの思いも持っております。昨今の温暖化現象はこれまでの常識を覆すような影響を野生生物に及ぼしており、道内のイトウにおいても2021年には高水温に伴う酸欠が原因と言われている大量死が報道されております。今後、温暖化がどの速度でどの程度すすみ、天然河川のイトウ個体群にいつどの様な影響を及ぼすのかについては、地震による津波がいつ起こるか同様、誰も予想ができないと考えます。イトウ養殖が事業化されることで、環境をコントロールしやすい人工管理下で少なくとも養殖親魚として貴重な遺伝資源が維持され、それがトキのように自然個体群が存亡の危機に陥った場合の最後のバックアップとなるかもしれません。すでに水族館やその他の公共施設などがその役割を担っていると言われるかもしれませんが、運営財政の悪化などでその役割が果たせなくなるかもしれません。養殖事業のような,事業収益に裏打ちされたバックアップ手段は多い方が良いと考えます。また、将来的にもし養殖で出る収益があるならば、その一部を親魚の維持やイトウ保全活動に回せるような仕組みづくりも大切と考えております。これらの考えは、母川由来個体群を用いた放流(増殖)を通じ、より自然な形でイトウを保全したいという王道な考えとは異なるかもしれません。しかし通る道が異なるだけで、最終的な目的としての「貴重なイトウを持続的に保全したい」というベクトルは同じであると考えております。イトウの保全に関しては、一つの手段だけではなく、増殖・養殖を含めた多様性を持った方法で臨み、保全活動全体としての強靭化を図ることが重要と考えてます。貴会の王道的なイトウ保全活動は、遺伝系統保護の観点から理にかなったものであり、またボランティア精神による崇高な環境保護活動として大変尊敬する次第です。方法は異なりますが、同じ目的を持つ者同士としてお互いを尊重しながら進んでいくことができればと思います。

早々


※北海道大学からの回答文のホームページへのテキスト転載にあたり、参照文献・ページへのウェブリンクを追加しています。原本PDFはこちら。(オビラメの会)